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🔴創造変化9.◇陰陽 泥も華も忘れずに


0.言葉にすると矛盾しているものでも、物事は矛盾を内在させながら進み、発展していくもの。

矛盾を無くすことばかり考えていると、理想を見失う。大きく構えて、矛盾はそのままで、それでも飲み込んで消化していくこと。


矛盾といえば、やはり人間関係だろう。

しかし、「矛盾は嫌だ」といって、人間関係を拒んで殻に閉じこもってばかりいては、そこに成長発展はない。


他人に対して無関心に過ごしていると、心は軟弱になる。すると、些細なことにも傷付いて反発するようになってしまう。自分は被害者である捉えるようになる。

親切に気付けなくなり、傲慢になり、社会に自分を曝していくことが難しくなる。

つまり、「造化」から離れてしまう。


1.そんな生き方が理想なのか?


矛盾を引き受ける器量と、そこから共栄に進む機鋒(展開力)を備えた男が理想ではなかったか。



◇まずは自分の中の矛盾(陰陽)を止揚していく

・正座(姿勢)は崩さず、柔らかい雰囲気を創る

・心を無(静)にして、稽古(動)で汗をかく

・温和な態度で接して、己の義は貫く

・厳しく当たる中で、温かい心を離さない

・無手の技を稽古する中で、得物の技を稽古する

・酒も女も大好きの中にあって、崩れない

・元気で気力を充実させて、静かである

・妥協しまくる中で、軸はブラさない

・怒りの中で、言葉は丁寧に

・人は憎まないが、そのふざけた行為は毅然と排除する

・憎む力と祝福する力。どちらも持つ。

・貸すことと借りること。借りは真っ当に返し、またいつでも貸せるやり取りを継続。

・陰陽の矛盾は、理想を掲げて飲み込む

・闘うことは厭わないが、平和共栄を目指す


・可愛いが、腹が座っている。


これら自分の中の陰陽を、日常の喜怒哀楽・艱難辛苦・利害得失・栄枯盛衰のあらゆる経験を味わい尽くしながら修養鍛錬していき、自らの風韻(風流余韻)・リズム、つまり個性を磨き上げていく。



もちろん、時には陰(裏・影・秘密)に徹し、時には陽(表・光・公開)に徹することもある。


ただ、そんな中にあっても、

陰に徹する時は、華(陽)を忘れず。

陽に徹する時は、泥をかぶること(陰)も忘れず。


常に陰陽を抱え込むことは様々なリスクがあるにせよ、陰陽片方だけだと進歩発展の力が失われていく。

力が失われるよりは、リスクを取る。力を取る。



2.◇人は本来「造化(陰陽)の働き」そのものである。つまり、

・元気であり

・明確な理想を持っている

・矛盾を飲み込むくらい大きく構え、

・時に陰に徹し、時に陽に徹して働く

・良い時に驕らず、悪い時に凹まず、

・自らの風韻(リズム)を育み、

・様々に造化を具現化(自己実現)していく。


木を見て森も見て、私利私欲にこだわらずに全体の調和や陰陽のバランスを考えて微調整しながら物事を発展させていくと、自ずから自分も豊かになっていく。


それが自然なことであると、東洋思想は教える。

第321話◇心を落ち着ける


「まあ座れよ」。

座って心を落ち着ける。



たとえどんなに怒り狂っていても、「そんな試練も理不尽さも面白い…」と、心の奥底の奥底では「喜をもって感謝」を忘れない。


その余裕が必要だ。



心を落ち着けるために、正座をして写経をする人がいる。


心を落ち着けるために、汗を流して稽古する人がいる。



心を落ち着けるのは、その直後からまた「造化の働き」を様々に具現化していくため。

その時その時に即応して、臨機応変に自己を実現させていく起爆力を養うため。

そして、理想を目指して道を歩いていくため。



「喜をもって感謝」という余裕をもって、

次に何が起きても臨機応変に即応するために、心を落ち着かせる。



一瞬で心を落ち着かせる人もいるだろう。


陰と陽。静と動。何でもいい。

心を落ち着ける手段を持つこと。

男と女◇英雄(ヒーロー)の器


ヒーローを目指す。


しかし、何事も陰陽の側面があり、ヒーローもその例外ではない。


カッコいいという「陽」の側面に憧れて英雄(ヒーロー)を目指したものの、その立場に纏わり付いてくる「陰」の側面、つまり、因果や業(ごう)のとんでもない大きさを背負いきれるものではないという現実に愕然とする。


英雄(ヒーロー)の辛さに耐えられる器を持っている人は誰もいなかったという現実に引き戻されることも少なくない。



英雄とは、全ての思惑や責任を引き受けて、なお微笑みを絶やさず、言葉一つ一つに心を込めて話しができる人。

とんでもないプレッシャーの中にあっても、優雅に振る舞い、物事を進めていける人。

全ての物事と、全ての人の気持ちを背負って、それでもなお自然体でいられる人。



それでもなお、英雄(ヒーロー)を目指す男と女は、覚悟を決めて「逃げない」「忘れる」「楽しむ」努力を死ぬまで続けていくしかないんじゃないだろうか。



そうすれば、せめて大切な人にとっての英雄(ヒーロー)になれるかもしれない。

世人余話◇終わりがあるから美しい。


今日という日は二度と来ない。

始まればいつか終わる。


同じ事は続かない。


私たちもひとりひとり異なる。だからそれぞれは尊くもある。



調和あるところ、組織あるところに、生命の存続発展はある。


「調和あるところ」とは、それぞれは異なることが前提だ。陰陽異なるからこそ和していく。

例えば男と女。


「組織あるところ」とは、異なる者同士、親和団結して一つとなって、様々に分化発展していくことだ。

例えば男と女。笑


調和がなければ、闘争か断絶に向かう。

組織がなければ、力が抹消化して消滅していく。


陰陽相親しみ、相交わるところに、進歩発展がある。


そして、始まったものはいつか終わる。

築き上げたものを後進に託して。

東洋思想◇論語~「忠恕」再び 


「忠」とは、「進歩向上造化」。


「忠」とは様々な矛盾を止揚(相対するものを処理し、一段上へ発展させること)し、それを進化させていくことである。

陰陽でいえば陽の働きであり、そういう努力をしていく「心」が「忠」である。

つまり、「造化」という、万物を創造育成していく努力とその働きを「忠」という。



「恕」とは、「包容含蓄造化」。


「恕」とは女扁(へん)に口に心。「口」は領分。如とは女の領分。「ごとし、そのまま、ながら」。

男と違う女の領分の最たることは、子供を産めること。人間にとって子供を産むことは、「造化」の最たる働き。

「造化」の特徴は、まず限りなき包容力。包容して親しみ、根気よく全てを育んでいくこと。

陰陽でいえば陰の働きであり、全てをゆるして包容し、そこから育んでいくことである。

cf. 東洋思想◇忠恕)


そもそも、東洋思想においてこの宇宙は「絶えざる創造・変化・活動・進行」である。

それを「天」と呼び、その限りなき働きを「造化(創造変化・創造展開)」と呼んだ。


つまり、子供を産めることで、男より女性の方が、より根源的な造化(創造変化の働き)を代表している。

だから、造化の如き心を、女扁として「恕」とした。

「恕」とは、親の心、母の心、つまり慈悲の心である。


「造化」というものの特徴は、まず限りなき包容力。包容して親しみ、育んでいくこと。

そこから「恕」とは「許す」という意味になる。

「恕(ゆる)す」ということは、素性も過去も一切咎(とが)めることなく内包することである。包容して親しまないと造化につながらない。



「恕」とは万物を包容して育む(創造変化)ことであり、「忠」とは万物を創造変化させて一段上に高めること。

従って、「忠」は「恕」の一部とも言える。



論語に、「夫子の道は忠恕のみ」とある。

夫子の道は、大自然の造化(創造変化)そのものであり、それは限りない包容含蓄(恕)と、無限の創造変化(忠)から成る。



人物評価も「忠恕のみ」を基準とすることができる。

1.「恕」どれだけ包容力を持った人間か。

2.「忠」どれだけ創造力・育成力・展開力を持った人間か。

3.「のみ」どれだけ一貫性を持っていて、節度と途中で挫けない不撓不屈の実践力を持っている人間かを見る。


論語にも、「汝、自らを劃(かく)す」(お前は力が及ばないのではない。自分で自分に見切りをつける、見限っている。それは良くない、途中で挫けずに志を一貫しなければいけない」。


つまり、途中で挫けたりしない当てになる人間かどうかを見る。

ここから、「八観六験」等の人物論が展開させることができる。



見限ったり、挫けたりすると言えば、「仕方ない」という言葉。

これは本来は、「もうだめだけど仕方ない」と言ってあきらめることではなく、「仕方ない、よしやり直し!」という不撓不屈の言葉である。

非常の場合は、財産も地位も命も当てにならない。

そこで、常に初めに返る。

終わることを悲しまず、終わることは新たに始まることと、能動的・積極的に捉える。



しかし、こんな知識を並べたところで、ただの知識にとどまっていては強く豊かに生きる上で何の意味もない。


では、私達は「忠恕」を、どこから始めればよいのか。


「孟子」は「仁を求める」ことから始めると言った。


仁とは「思いやり」「心遣い」であり、「共生」であると言われるが、その内実は「万物を包容して生成化育させていく働き」であり「造化」そのものであり、どこまでも主体的な行動である。


天地万物一切の物事を己の心に内包し、全て自分の肚の中の出来事であるという器量を持てば、それは「造化」そのものである。


日常から離れることなく、自身が万物を包容し創造変化させて、限りなく成長発展していく。己の志・野望・夢を、仁(忠恕)もって力強く実現していく。


これが「忠恕の道」の体現である。

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