437話◇終始終わりから始まる


「大学」に「事に終始あり」とある。

事とは出来事であり、出来事は時間の流れの中で起こるから、そこには始まりと終わりがあると説く。



ふと、思った。

なぜ「始終」でなく「終始」なのか?


「始終」と「終始」、漢字の順番を入れ替えることで、その意味を変えている。

「始終」とは「しょっちゅう」「年がら年中」という意味であり、

「終始」とは「始めから終わりまで」「ずっと変わらずに」の意味である。


なぜ、「終始」に「始めから終わりまで」の意味があるのだろう?「始終」にその意味がある方が自然ではないか??



私が浅はかだった。



出来事は終わりから始まる。

だから「終始」なのだ。


時間を具体的に考えてみればすぐに分かる。例えば、朝の一瞬を取ってみたら、それは夜という過去の終わりで、同時にこれからの一日の始まりとなる。

終わりと始まり。終わりがあって始まりがある。

一瞬というのは同時であるけれど、いつも終わりから始まる。


だから「事に終始あり」なのだ。



良き終わりを持つことが良き始まりにつながるから、「終わりよければ全て良し」なのだ。

そして、良き終わりを持つための姿勢が、「最後まで頑張る」である。




「生きる」とは、各々に与えられた時間をいかに過ごしていくか、その生き様を刻んでいく事とも言えるのではないか。

それは、沢山の終わりと始まりを持つことでもあるだろう。



「漢Camp」のイベントではないが、皆で絶叫したあの掛け声を思い出しました。

それ風に言うならば、、


「生きるとは!!

最後まで頑張ることぜよ!!」笑

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