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第529話◇節・省・努力
第529話◇節・省・努力
飛びたいなら、飛ぶための努力が必要。
泳ぎたいなら、泳ぐための努力が必要。
稼ぎたいなら、稼ぐための努力が必要。
闇雲な努力や、大事なことを後回しにして、細かいところばかり完璧に仕上げる努力をしても、望む結果は出にくい。
望む結果(目標)に至る道筋は、最初は見えないことも多い。
だから、朝から晩まで努力しても、夜は分析・反省・対策が不可欠。それをしなければ正しい道筋はなかなか見えてこない。
夜は、望む結果に向かう努力をしているかどうかを自ら確認する時間、自分に向き合う時間が必要である。これを「省」と言う。
勉強で言えば、復習である。
努力→省→努力→省→努力…。これら一つ一つの締めくくりを「節」と言う。
締めくくりが上手くなることで、飛躍への弾みがつく。
目標に向かう「努力、節、省」の数限りない繰り返し。その中で道筋は見出される。
成長には、
目標へ向かう真摯な努力と、
物事の締めくくりをきっちりやるという「節度(ケジメ)」と、
自らの考えや行動を省(かえり)みて、無駄を省(はぶ)き、努力の方向性を修正していくという営みが欠かせない。
そして、様々な人たちと繋がること。
「自分以外、皆我が師なり」なのだから。
稽古も然り。
「省」があれば、謙虚さが備わり観察眼が養われる。観るべきものが見えるようになる。
「節」があれば、ケジメがつけられる。ケジメはメリハリを作り、陰陽のリズムと調和を生み出す。
そして、人一倍の「努力」が、平凡を非凡へと押し上げる。
目標を掲げたなら、必ず引き連れていくべき相棒たちが、「節度、反省、努力」である。
そして、皆と親しむ。
第316話◇快楽の制御のできない男
第316話◇快楽の制御のできない男
例えば映画などで、快楽殺人を犯す者は、怖いもの知らずでとんでもなく恐ろしく描かれることが多い。
現実にも、傍若無人のゴリラのように、無敵に見える男は少なからずいる。
しかし、快楽を求めることを目的として動くのなら、そこには致命的な弱点がある。
それは、快楽の制御を仕切れないという点だ。
欲望の自己統制ができないのなら、よく訓練された者には敵わない。
なぜ勝てないか?
節度が足りないからだ。
映画でも、己の欲望を束ねる義を持ち、節度を持って自己統制し、よく訓練された者に敗れる。
男はみんな節度が無い?
…そうではない男たちもいる。
様々な快楽を求める欲求を一つに束ね、理性を究極にまで引き上げる。
理性とは義であり、志だ。これがあるから節度が生まれる。
快楽を求める心 vs. 快楽を束ねる義、志
義や志。政治家でいうなら国家観だ。それを持っていない政治家を信頼できる道理はない。私利私欲(快楽)で事を運ぶか、強靭さが足りないと分かるからだ。
その義と義との勝負だから覚悟が生まれ、面白くなるのだ。
その土俵に上がれるかどうか。
自己満では上がれない。
私利私欲は義に狩られる。
欲望を頼みとして勢力を伸ばそうとする男達は、身の程を知りなさい。
世人余話◇「忙しい」の反対はGW?
世人余話◇「忙しい」の反対はGW?
「忙しい」の反対は「暇」だと思っていたが、、
何かとんでもない思い違いをしていたようだ。
忙しい…は、「心を亡くす」
暇…は、「志や目標が無い」
どちらも同じようなものだ。
反対ではない。
「忙」しいとは、節度を過ぎた多くの物事に追われて心を亡くすこと。
すると、心が散漫に、バラバラになる。そこから過ちが生まれる。
その反対は何か。多くの物事から無駄を省き、節をもってバラバラになりそうな心を一つに束ねること。
つまり、「忙」の反対は、「節」(一つに束ねる)「省」(無駄を省く)。
「忙しい」という「~過(す)ぎる」状態から、「過(あやま)ち」は生まれる。過ぎるから過つ。どちらも同じ漢字だ。
「活動」の反対も「休息や睡眠」ではないのかもしれない。
「活動」の反対、「省」か。
「活動」の反対というか、本質かな。
自らを、その志や目標に照らして省(かえり)みることで無駄なことを省(はぶ)き、為すべきことを明確にする。
それが不撓不屈の活動のための前提となる。