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344話◇強さと優しさの根源は同じ


より強く優しくなるためには、自分を忘れて、自分の私利私欲や私的欲望を無くして、目標や義や志や人に献身して行けば良い。


 強さ優しさの根源は同じもので、それは「慈愛(無私・無我)の献身」である。



無我というのは、「自分の存在がない」「自分の考えや意志がない」等の、軟弱な意味ではない。

それは、私利私欲や私的欲望がなく、対象に没頭・集中して、対象と一体となっている熱くて強固な状態である。

造化の働き、忠恕の実践そのものになっている状態である。

集中、覚悟、没頭、熱意こんな状態である。


そこには風格や威厳が備わってくる。



そもそも、

強く優しくなるという選択をするのは、

「造化」の働きを具現化するため。

例えば、私達が幸せに生きられる世の中(家庭、職場、地域社会 を創り出すとか。それぞれ、形にしなければならないもの、やり遂げなければならないことがあるだろう。



そのために、

「無我」であること。

「素直」(第342話◇素直という強さを 参照)であること。

http://feghowa.officialblog.jp/archives/4079298.html


それが、造化のはたらきを形にするという「選択」である。



根源に還って、そこから様々に作り出していく。形にしていく。


主体性と創造性をもって、主人公として真正面から物事に対峙し、動けば、それだけ未来は明るくなっていく。


326話◇心が率いる


今回の合宿のテーマは「率いる、従う」。


心は身体を率い、身体は心に従う。



鍛錬修養においては、自分を抑えずに本気真剣全力でやるメニューが少ないと、

「ここぞ!」という時に出す「全力」が、「たかが知れている」という寂しいことになりかねない。


逃げない。忘れる。楽しむ。

自分を抑えず、全部真剣本気出す。


この姿勢で様々な喜怒哀楽・艱難辛苦・利害得失・栄枯盛衰を味わい尽くしながら、些細なことには傷付かない心、誘惑や脅威に屈しない心、志義や目標に情熱を傾けられる心。己の身体を従えるに値する「心」を養っていく。


言い換えれば、自分の身体も言動も率いる親分のような心とは、己の誠の心であり、造化の心であり、道そのものである。


その心は自分で構築していくしかない。

主体性・創造性を手放してはいけない。


自分に都合のいい場所というのは、どこかを探せば見つかるというものでもない。

己で創り出さなければ、誰も与えてはくれない。


と言うことで、身体を率いていく「心」を養う「問い」のいくつかを、グループで、そして個人で考えて自分の答えを見つけて欲しい。


Q)あなたの「義」は何ですか?

身体も言動も、己の心(志)に従わせることが、「人が人間として生きることの気高さ(美しさ)」という己の義である。


Q)「義利の弁」(孟子)とは?

義を蔑ろにして利(私利私欲)に流されるならば、

・相手に嫌われまいと自分の態度を曖昧にしたり、

・私利私欲を相手に仕込んだり曝け出したり押し付けたりする態度が多くなる。


そういう態度では、

当然のことながら、誠の己も大切なものも失うことになる。それを因果応報と言い、自業自得と言う。


Q)あなたの理想像・理想精神はどういうものですか?

深沈厚重、器量と機鋒(展開力)、六然、六中観etc.


Q)節、節度とはどういうものですか?

己の心に従って様々に「造化の働き」を具現化していく過程には、もちろん障害も出てくる。志義が定まっていれば不撓不屈となる。脅威や誘惑などの障害に屈することはない。

私利私欲は誠の心で自己統制(否定ではない)していく。




明日も、稽古から逃げない。

過去の栄光も挫折も乗り越えて忘れる。

そして、何事もできるだけ楽しんでいく。

自分を抑えることなく、全部本気出していく。


真剣本気で今日を過ごしたなら、明日は来る。そこまで本気じゃなかったなら、明日こそ!


では、おやすみなさい。

🔴創造変化7.◇小人(自分勝手な罪悪感)


0.今回は、東洋思想の言う「人物の条件」とは逆、いわゆる小人について。



自分に許可出せなかったり、受け取れなかったりするのは、「倫理観」や「優しさ」が邪魔をしているのだろうか。


皆で楽しもうとしているときに、「皆と楽しむ資格はない」と「自分勝手な罪悪感」に浸り、「俺はいいよ」といって断ってその勢いを削ぐ人がいる。


本人に悪気はないのかもしれないし、それが「倫理観」だと思っているのかもしれないが、「一緒に行こうよ」と繋がりを持とうとしていた人達にとっては、ただただ迷惑以外の何ものでもない。白けるだけだ。


1.東洋思想では、そういう男を「小人」と言って嫌う。未熟者に留まっているからだ。


小人は、私利私欲を自己統制できないし、自分の資質や能力を理解せず、道や義を学びもしない。

だから、勝手な罪悪感を倫理観に置き換えて周囲に迷惑を振りまいておきながら、自分の辛さや悲しさを相手に小出しにして投げかける。

つまり、造化を具現化していく元気がない。器量や機鋒(展開力)が無いのだ。


2.…情けない。

そんな態度では自分も周囲も健やかに成長する道理はない。


そのような自分も周囲も不幸にしていく罪悪感などは不要だ。


学ぶべきは、艱難辛苦・栄枯盛衰・利害得失・戦争と平和、どんな状況でも喜怒哀楽はあるということだ。

ぬるま湯に浸っていると、少し甘くて罪悪感を持った人達は、「みんな平和じゃないと何かを楽しむのは心苦しい。自粛しよう」と思うようになる。それは小人の発想だ。


ぬるま湯から出てみればそうでないことが分かる。

どんな場所にも笑顔はあるし、音楽も元気な子供たちも酒も下心も恋もジョークも、喜怒哀楽や利害得失は全部あるのだ。


だから、そこで自分が如何に主体性・創造性を発揮して、自分も周囲も変えていくか、造化の働きを具現化できるかが重要なのだ。



人間にとってまず最初に身につけるべき徳、つまり子供がまず身につけるべき徳は、「明るい」「温かい」「清潔」「健やか」だ。

自分勝手な罪悪感で、自分や周囲に明るさや温かさを伝えることは難しい。


小人のままでいいとは誰も言わない。そんな罪悪感は手放して改心する。

成長・共栄・調和に、それぞれの理想像に、少しでも近付きますように。


自分にもっと様々なことを受け入れる許可を出す。そんな器量も元気も無いなんて、何も始まらないじゃないか。



◇私に元気はあるか。理想はあるか。自分を社会に曝しているか。覚悟を決めて、様々なことを成し遂げ、受け入れる許可を出しているか。小人のままではいけない。

男と女◇弱くなって強くなって…


男は、

心の滾りに任せて死ぬ気でできた事も、大切な人ができると、「こんなところに命を賭けるのは馬鹿馬鹿しい」と思うようになる。


死ぬ気で取り組めたことに死ぬ気で取り組めなくなる。

女は男を弱くする。



男は、

今まで心が弱くて私利私欲に流されていた事も、大切な人ができると、「このまま流されては生きていけない」と誓うようになる。


己の志や義が生まれるから、節度が私利私欲を自己統制できるようになる。

女は男を強くする。



女は男を弱くし、

女は男を強くする。



そして、男は理想と覚悟が定まる。


覚悟が心を静寂にさせ、心の静寂は安らかさを生み出す。その安らかさは未来の筋道を立てる。

その道に従って、男は様々に事を成して遂げていく。その任は死ぬまで。



女は…、男が覚悟を決めるずっと前に、

当たり前のように覚悟を決めている。


女は強い。

そして、ただただ優しくなっていく。



全てを包容して育んでいく大地のような女と、

大地に支えられてどこまでも伸びていく大樹のような男。


男と女の関係は、尊きものに。

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