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男と女◇本気、ホンモノ


自分に本気で向き合ってくれる相手には、本気で応える。


本気の相手は、家族であり、仲間であり、職場であり、社会である。

つまり、本気で世の中に処していく理由は、世の中が自分に本気だから。

そして、ホンモノだから。


もし、相手と勝負して負けるのなら、本気・ホンモノの相手ならそれも本望。

「我が人生に悔いなし」と言うには、本気やホンモノに囲まれたいもの。



ただ、

純な男ほど、純じゃない(本気・ホンモノじゃない)女に引っかかり、

純な女ほど、純じゃない男に引っかかる。


そして、こちらの本気が相手に届かない時もある。

それは自分の未熟さが原因か、それとも



いずれにせよ、

本気になれない男や、ホンモノでない男はつまらない。


女も然り。

男と女◇朝に道を聞かば…


男と女で大切なことは、


何よりもふたりの心が通うかどうか。



「心の通じ合う相手と出会えたなら、その日の夕に死んだとしても、悔いはない」。


心が通じない相手と100年一緒にいるよりよっぽどいい。



そんな心境を持てばこそ、

「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」という論語の言葉の響きと熱が伝わってくる。


「孔子は熱い男だったんだなぁ…」と、女そっちのけで、男が男に惚れ直したりする。


男と男にとっても大切なことは、

心が通じ合うかどうかだ。

男と女◇陰陽相対原理(1)


例えば栄養。

身体に良いからと言って食べ過ぎてばかりいたら、その栄養は同時に毒である。身体に悪いものとなってしまう。


例えばお金。

裕福になれば廃頽へ進みやすく、貧乏といえば成功に繋げることもできる。


それぞれ逆のようだけれども、別々にあるのではない。表裏というだけのこと。



陰陽相対原理からすれば、必ず表裏一体である。


弱い中に強さがあり、悪い中に良さもある。表がダメなら裏を上手く活かしていくことが「道」というもの。


だから、必ず道を開くことはできる。

艱難辛苦があれば必ず幸福がある。「災い転じて福となる」とはそういうこと。


そこに熟達すれば、窮することはない。



それなのに、

自分の長所に蓋をして、短所に潰されようとしているドMの男と女がいる。

相手の長所を伸ばさず、短所をほじくり返して文句ばかり言う男と女がいる。


男と女は、

お互いの長所短所を補い合い活かし合い、一つになってどこまでも高く成長していくもの。



そんな関係性のふたりの存在が、

愛そのもの。

男と女◇弱くなって強くなって…


男は、

心の滾りに任せて死ぬ気でできた事も、大切な人ができると、「こんなところに命を賭けるのは馬鹿馬鹿しい」と思うようになる。


死ぬ気で取り組めたことに死ぬ気で取り組めなくなる。

女は男を弱くする。



男は、

今まで心が弱くて私利私欲に流されていた事も、大切な人ができると、「このまま流されては生きていけない」と誓うようになる。


己の志や義が生まれるから、節度が私利私欲を自己統制できるようになる。

女は男を強くする。



女は男を弱くし、

女は男を強くする。



そして、男は理想と覚悟が定まる。


覚悟が心を静寂にさせ、心の静寂は安らかさを生み出す。その安らかさは未来の筋道を立てる。

その道に従って、男は様々に事を成して遂げていく。その任は死ぬまで。



女は…、男が覚悟を決めるずっと前に、

当たり前のように覚悟を決めている。


女は強い。

そして、ただただ優しくなっていく。



全てを包容して育んでいく大地のような女と、

大地に支えられてどこまでも伸びていく大樹のような男。


男と女の関係は、尊きものに。

男と女◇言霊(言魂)ことだま


言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。

声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。

Wikipediaより)



ただ、

弱い男や女の言葉に言霊(力)はない。

浮ついた者がどんな言葉を発しようと、その言葉に力はない。誰かを呪う力も鼓舞する力も祝福する力もない。


だから、万一つまらない男や女に何かを言われたからとって、気にすることはない。



その昔、「言(こと)」と「事」に区別はなかった。


「言」は「事」であり、事は出来事である。


出来事には終始(始まりと終わり)があり、

出来事から「物」が生まれる。

物とは存在であり、存在には本末(重要な部分と瑣末な部分)がある。


従って、物事には終始本末がある。

それを間違えると「本末転倒」になる。


本末が転倒しているとは、きちんと筋道が立っていない、あるいは肝心なことを忘れて、つまらないこと大事にしてしまっていること。大きな失敗はここから起こる。


それだけに、「言(事)」を言ったり起こしたりすることは、とても慎重であり、また大切であった。



磨かれた人格から出た言葉には言霊(力)が宿り、それは出来事となる。

 


男も女も、人格が磨かれていけば、

目の前の相手には、心そのものが伝わるようになる。


だから、彼氏彼女や夫婦は言葉が少なくなっていくこともある。


お互いの人格が磨かれていくから。

心が通じて、目で会話ができるようになっていくから。



そして、そんな男や女の語る言葉には、

「言」を「事」に変える大きな力が宿る。



人格を磨き、

言葉を出来事に変え、

受け取る。


男と女の、心と言葉。


心の形、言葉の力。

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