405話◇人を瞬時に見抜く


人を見抜く方法として古来から言われる「八観」や「六験」。

それとは別に、瞬時に見抜く方法がある。


人間というのは、初めて相対した瞬間に雌雄が決まる。やってみなければ分からないというのも一つの理ではあるが、やはり、やってみなければ分からないというのはまだまだ未熟なのである。



いじめに遭ったひとはよく分かるだろうが、人を虐(しいた)げようとするいじめっ子の悪意は残酷で、実は殺意によく似ている。

殺意はあからさま過ぎて表に出す人は多くないし、殺気は相手に伝わりやすい。

ただ、笑顔で「よろしく」と握手を求めてくる人の中にも、こちらに悪意を抱いている人もいる。


だから、殺気の前段階にある悪意を見抜く技は、自分や周囲を守るためにも有用なのである。



稽古では、「先(せん)を取れ」と伝える。未発の先、気の先等から始まり、対の先、後の先まで様々なタイミングで取るべき「先」はあるが、その内実は、戦いにおいて相手の悪意・殺意を瞬時に見抜くことにある。



見抜く技は普段の稽古に取り入れてある。


攻者は守者に対して、「自分の親の仇を取るように攻撃しろ」と言うのがそれだ。

それはどういうことか。


攻者は守者に悪意や殺気を放つ。

守者は、「お前をぶっ殺してやる」「八つ裂きにしてやる」等、攻者の悪意や殺気を感じ取るようになってくる。

それこそが、当(まさ)に技なのである。


いじめられっ子や武道家に限らず、ある程度の所に到達した人達は皆、敵か味方か分からない相手の本性を瞬時に見抜く。


全身で「相手の悪意を感じ取る」という技を身に付けているのだ。


護身という観点からすれば、悪意や殺意という相手の気を感じたら、躊躇(ちゅうちょ)することなく一撃必殺(必滅)を狙う。

一発目が当たれば、二発目三発目も当たりやすい。それが「先の先」を取る先手必勝法。


また、「毒を制するには猛毒をもって」と言われるように、攻者を圧倒する殺気も効果的な力となる。

圧倒的な殺気以外には怯まない相手もいるから。



ただ、それだけでは「殺気vs殺気」であって、武の本義から遠ざかる。

そもそも「武」とは、「二つの戈を止める(争いを止揚して一段上に上がる)」ことであり、その観点からすれば、守者が反撃に転じる時は、悪意や殺気とは別のものも必要となる。


別のものとは、例えば造化そのものの心(正心・無心)である。


演武稽古の時には、攻者と守者お互いがそれぞれの心(殺気と正心・無心)を交互に尽くすことで陰陽相交わり、造化を顕現させていくように演武を二人で築き上げていくことになる。


稽古の中で、また次の答えを各自体得して下さい。

これは教外別伝のことだから。

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