論語、里仁編に「徳のある人は孤立したままではいない。必ず協力者に出会い意気投合するもの」という趣旨の言葉がある。
そんな「孤高の人」は確かにいる。
しかし、
周囲の人達から、「オレ達を高みから見下す嫌な奴」としか思われていない人を「孤高の人」と勘違いしてしまうことがある。
そんな孤高の人からすれば、周囲の連中は皆「くだらないことに関心持ったり、騒いだりしている馬鹿な奴等」に見えるのかもしれない。
スカイツリーから見下ろしても誰も何も感じないが、隣の二階家から見下ろされると不快になる…ように、間近から馬鹿にされると腹がたつのが人情だ。
つまり、
こういう孤高の人とは、ただ周囲の人達と調和できない「器量の小さな奴」であることが少なくない。
「孤高の人」というより「孤独な人」だ。
孤高の人は、孤独ではなく「必ず隣り有り」の人だと、孔子も教えてくれている。
孤高の人とは、
・志があり、
・気魄があり、
・器量が大きく、
・人情味があって温かい。
周囲の人達は、孤高の人のそうした雰囲気に親しみ、敬うようになる。
だから、多くの人たちに受け入れられ、皆から守ってもらえる。
「孤独な人」と「孤高の人」。
孤独な人じゃ、私は楽しくない。面白くない。
人生、何事も楽しめるかどうか。
面白いかどうか。
それを大切にしたい。