世人余話◇大黒柱を立てる


人間が人格的に成長するには、「愛」だけでは足りない。「敬」も要る。

愛の対象を母に、敬の対象を父に得る。

現代の家庭教育や児童教育の欠陥の一つは、幼少期に「敬」がいかに大切かを忘れ、「愛」を与えていればいいと考えられていることだ。


愛と敬。

これは「孟子」から学んだことであるが、そもそも「孟子」や「論語」「老子」「易経」のような、いわゆる経書を学ぶことの利点は何であるか。


経書とは、例えるなら家を支える大黒柱のようなもの。

(今の家は昔の家と構造が違い、柱と壁によってつくられるものなので、大黒柱がなくても家は建てられるが)、

昔の家は田の字型の家が多く、家の真ん中に大黒柱が存在した。

大黒柱には四方から梁がささり、また、土台から屋根まで長く存在し、屋根面も支えたように、まさに家全体を支える柱である。


経書というものは、余計なものを全て省き、豊かに生きていくために大切な根幹部分だけが追求されている。

大黒柱と同様、経書を学ぶことを根幹とすれば、様々な出来事や経験や学問を組み合わせること、構成していくこと、体系を作っていくことができる。


医学、数学、法学、生物学、物理学、科学、音楽、文学、政治学、経済学等、何を学ぶにしても、経書が全ての根幹になる。


つまり、一切の学問を「経書の注釈」にするように勉強していけばよい。


すると、あらゆる学問の一つの原理原則が出来上がる。そして、学問が体系的になる。


古今東西様々な研究の結論を、例えば「論語」の注釈にするようにもっていく。心理学も哲学も政治学も経済学も何でも「論語」の原理原則に結びつけるようにもっていく。


こうしなければ、知識と人格が乖離(かいり)する。人格的には幼稚な人間が、知識や技術を振り回すことになりかねない。



人間と他の動物との違いの最たるものは、その徳性と知性の有無であるが、あくまでも徳性がその本質的要素であり、知性は付属的要素である。

従って、徳性を養う学問を根幹に据え、知性を養う学問を枝葉として、様々に花実(社会興隆・文化・文明・科学技術・医療技術等)を結実させるようにするのが本筋である。



己の精神の大黒柱は立っているか。

己の学問の大黒柱は立っているか。


その大黒柱を根幹に、その根をますます深め、枝葉を豊かに伸ばし、強く明るく人生を築いてきたい。