第445話◇強さとは
以前、強さについて勘違いしていた。
「強さ」とは、邪悪であり野蛮である。だから、強い人というのは、どこか嫌な奴、怖い奴だ…と。笑
特にいじめられっ子はそう感じたことが多いのではないか?
なぜなら、いじめられっ子にとって一番強い奴は身近にいるいじめっ子だからだ。
いじめっ子の強さに対しては、服従するか、逃げ回るか、力をつけるかだ。
逃げ回るのも嫌だし、力をつけるには時間も勇気も度胸も覚悟も要る。…そんなのは絶対無理だ!と思ってしまう。
結局、選択せざるを得ないのは、自分の心を自分で殺して、イヤイヤながらいじめっ子に服従することだったりする。
…だから、強さとは人に服従を強いる理不尽なもの。
つまり、邪悪で野蛮なものだと思ってしまう。
でも、それは本筋ではない。大きな勘違いである。
そんな強さは、「様々な人達や物事を包容して、皆と親しみ合い、お互いに個性を開発・発揮させながら様々に結びつき、新たに創造変化していく」という「造化(仁)道理」に向かわない。
むしろ、「造化」をぶち壊すものである。
そんなものは、私たちの道義にはなり得ない。そこには、尊さなど微塵もない。
強さとは、決して邪悪なものでも野蛮なものでもない。
強さとは、道理・道義を実現していくものであり、自己の確立や自他の共栄に向かうものである。
強さとは、私たちが会得し大きく伸ばすに値する、尊く意義あるもの。
真善美そのものである。
邪悪なものや野蛮なものにどう応じるか。
私は「あの人みたいになって闘う」という理想がある。