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世人余話◇笑顔から始まる
世人余話◇笑顔から始まる
明治初期、スマイルズ著「自助論」の訳やJ.S.ミル「自由論」を訳した儒学者でクリスチャンの中村敬宇に「母」と題する名文がある。
「一母有り。四才児を携えて一牧師に問うて曰く、子を教うるは何才を以て始めと為すかと。
牧師對(こた)えて曰く、汝の笑顔の光、小児を照せしより、子を教うるの機会始まると…。鳴呼、世、固(もと)より此の母の機会を失う如き者多し。
今世の人、口を開けば聊(すなわ)ち文明と曰い、而してその本原に昧(くら)し、余嘗って謂う、
国政は家訓に原(もと)づき、家訓の善悪は則ち、その母に関(かか)わる。
母の心情、意見、教法、礼儀は其の子他日の心情、意見、教法、礼儀なり。
斯(ここ)に知る、一国の文明は、その母の文明に本づくことを」。
訳)一人の四歳の子を持つ母親がある牧師に問う。「子供を教育するのは何歳から始めたらいいでしょうか」。
牧師が応える。「あなたの優しい笑顔の光で、初めて子供を見つめる、その時から子供の教育は始まっているのですよ」 と。
世の中にはそのことを知らないで、機会を失してしまう母親が多い。
今の世の人は、口をひらけば文明の世の中だといって浮かれているが、人間の本質を見ていない。自分はかつて言ったことがある。「国政は家訓にもとづき、家訓の善悪はその母親次第だ。 母の心情・意見・教法・礼儀が、その子が成人した時の心情・意見・教法・礼儀になる。
よって、一国の文明はその母の文明に基づくことがわかる」と。
母の人生にはいつも子供がいる。
しかし、子供は新しい年を迎える度に離れていく。
「母」を己に置き換えてみる。
母の偉大さに、頭が上がらない。
父母の恩に報いなくては。