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426話◇大人と子供


子供は、

ひとりで全てを背負い込む。

「話してみろよ」と水を向けても、意地でも喋らない。



大人は、

円熟した者ほど、人を信頼して甘える術を心得ている。

大人ほど、甘え上手であり、


そして人たらしである。

だから、一度会ったら相手の顔と名前を覚えるのは当たり前のこと。



もし、

大人が礼儀を弁(わきま)えていないなら、

子供が礼儀を覚えないのは当たり前。



どんな国でも、大人は、子供の手本であり理想であるべき。



…大人は大変だ。

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世人余話◇笑顔から始まる


明治初期、スマイルズ著「自助論」の訳やJ.S.ミル「自由論」を訳した儒学者でクリスチャンの中村敬宇に「母」と題する名文がある。


「一母有り。四才児を携えて一牧師に問うて曰く、子を教うるは何才を以て始めと為すかと。

牧師對(こた)えて曰く、汝の笑顔の光、小児を照せしより、子を教うるの機会始まると…。鳴呼、世、固(もと)より此の母の機会を失う如き者多し。

今世の人、口を開けば聊(すなわ)ち文明と曰い、而してその本原に昧(くら)し、余嘗って謂う、

国政は家訓に原(もと)づき、家訓の善悪は則ち、その母に関(かか)わる。

母の心情、意見、教法、礼儀は其の子他日の心情、意見、教法、礼儀なり。

斯(ここ)に知る、一国の文明は、その母の文明に本づくことを」。


訳)一人の四歳の子を持つ母親がある牧師に問う。「子供を教育するのは何歳から始めたらいいでしょうか」。

牧師が応える。「あなたの優しい笑顔の光で、初めて子供を見つめる、その時から子供の教育は始まっているのですよ」 と。

世の中にはそのことを知らないで、機会を失してしまう母親が多い。

今の世の人は、口をひらけば文明の世の中だといって浮かれているが、人間の本質を見ていない。自分はかつて言ったことがある。「国政は家訓にもとづき、家訓の善悪はその母親次第だ。 母の心情・意見・教法・礼儀が、その子が成人した時の心情・意見・教法・礼儀になる。 

よって、一国の文明はその母の文明に基づくことがわかる」と。



母の人生にはいつも子供がいる。

しかし、子供は新しい年を迎える度に離れていく。


「母」を己に置き換えてみる。

母の偉大さに、頭が上がらない。


父母の恩に報いなくては。

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