第499話◇書道…書を通しての造化の道
万物創造変化という大自然の摂理、
人がその摂理(道理)を体現するのに、例えば書道はどのような型を与えてくれるか。
造化に必要な心構え。
・集中力、節度
・無心(私利私欲の無い素直な心)
・命が生き生きと伸びていく楽しさ 等
書道はこれらを、「硯で墨を磨(す)って書く」ことで会得させてくれる。
いい硯で墨を磨った感触を「熱釜塗蝋(ねっぷとろう)」と言う。
熱く熱された釜(鉄板)に蝋(ろう)を当てる如く、墨が硯に吸い付いてスーッと溶けるように墨がおりて行く様を表した言葉である。(この感触を得たさに墨と硯の相性に躍起になる愛好家もいる)。
熱釜塗蝋の硯で磨ると、心が落ち着くのだ。磨っているうちに無心になる。
心構え・姿勢・呼吸が整ったら、筆を走らせる。
もし人に見せる作品(書)ならば、どのような心持ちで書くのか?
「批判されたら腹を切る覚悟で書く」こう表現した人もいる。それくらい真剣に書(自分)と向き合う。
その覚悟が生み出すもの、それはそのまま鑑賞する側の基準にもなる。すなわち、「力強さの中に感じられる優しさ・潤い・深み・広がり・静謐・リズム」である。
これらの基準が書かれた作品に感じられると、人の心は震え、感動する。
その書は、人の心を高め、清浄にし、楽しくさせる芸術となる。
芸術の美しさとは、強さと優しさ、リズムと静謐さ、鋭さと広がり等の調和である。
造化を顕現させるための陰陽相対原理。それはそのまま調和であり、すなわち美である。相対するものがそのまま調和して新たなものに変化していく。
書の美とは、例えば余白の部分(陰)と、墨で書かれた部分(陽)の調和である。
これを「知白守黒(ちはくしゅこく)」と言う。
白とは墨の置かれていない部分(陰)であり、黒とは墨の置かれている部分(陽)である。常に白を計って黒(墨)を置く。ただ黒(墨)を置くだけではない。
ここにきて書は造化の道となる。
余白を「死」、墨を「生」に置き換えて考えれば人生に応用できる。だから「書は人なり」なのである。
死や生を怖れるような生き方や、片方しか意識しない生き方では、人生はどんな作品として描かれるだろう?
そこに美や感動はあるか?
陰陽(余白と墨、死と生)相交って中(時中・進歩発展)をなしていく。
人生はもっともっと面白く躍動的にできる。
…書は人なり。
例えば、
良寛和尚の書、
宮本武蔵の書、
空海の書を見てみろよ。
良寛の字は子どもの字みたいで下手くそ?
騰々任運(のほほんと運に任せて進む姿)という良寛の生き方そのままに、物事に拘らない素直な字が、生き方が、そこにあるじゃないか。
良寛が三条大地震(1828.11.12)の後、与板の知人に送った手紙にこんな一節がある。
「…しかし、災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ、災難を逃るる妙法にて候。かしこ」
(…しかし、何事にも時というものがある。災難に逢う時は遭い、死ぬ時は死ぬ。いつも心をそう定めていることが、災難を逃れる唯一の方法かもしれない)
アメリカの神学者ニーバーの祈りも同じ。
「主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えなければいけないことを変える勇気と、これらを見極める叡智を与えてください」
先人は本当に深く道理を会得してる。
さて、書とは、何度もなぞることは許されない一瞬の芸術である。
私たちひとりひとりの人生も、毎日もそれと同じ。
今日も健康と健闘を!