第326話◇心が率いる
今回の合宿のテーマは「率いる、従う」。
心は身体を率い、身体は心に従う。
鍛錬修養においては、自分を抑えずに本気真剣全力でやるメニューが少ないと、
「ここぞ!」という時に出す「全力」が、「たかが知れている」という寂しいことになりかねない。
逃げない。忘れる。楽しむ。
自分を抑えず、全部真剣本気出す。
この姿勢で様々な喜怒哀楽・艱難辛苦・利害得失・栄枯盛衰を味わい尽くしながら、些細なことには傷付かない心、誘惑や脅威に屈しない心、志義や目標に情熱を傾けられる心…。己の身体を従えるに値する「心」を養っていく。
言い換えれば、自分の身体も言動も率いる親分のような心とは、己の誠の心であり、造化の心であり、道そのものである。
その心は自分で構築していくしかない。
主体性・創造性を手放してはいけない。
自分に都合のいい場所というのは、どこかを探せば見つかるというものでもない。
己で創り出さなければ、誰も与えてはくれない。
…と言うことで、身体を率いていく「心」を養う「問い」のいくつかを、グループで、そして個人で考えて自分の答えを見つけて欲しい。
Q)あなたの「義」は何ですか?
→身体も言動も、己の心(志)に従わせることが、「人が人間として生きることの気高さ(美しさ)」という己の義である。
Q)「義利の弁」(孟子)とは?
→義を蔑ろにして利(私利私欲)に流されるならば、
・相手に嫌われまいと自分の態度を曖昧にしたり、
・私利私欲を相手に仕込んだり曝け出したり押し付けたりする態度が多くなる。
そういう態度では、
当然のことながら、誠の己も大切なものも失うことになる。それを因果応報と言い、自業自得と言う。
Q)あなたの理想像・理想精神はどういうものですか?
→深沈厚重、器量と機鋒(展開力)、六然、六中観etc.
Q)節、節度とはどういうものですか?
→己の心に従って様々に「造化の働き」を具現化していく過程には、もちろん障害も出てくる。志義が定まっていれば不撓不屈となる。脅威や誘惑などの障害に屈することはない。
私利私欲は誠の心で自己統制(否定ではない)していく。
明日も、稽古から逃げない。
過去の栄光も挫折も乗り越えて忘れる。
そして、何事もできるだけ楽しんでいく。
自分を抑えることなく、全部本気出していく。
真剣本気で今日を過ごしたなら、明日は来る。そこまで本気じゃなかったなら、明日こそ!
では…、おやすみなさい。