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406話◇人物論ノート


何度もこのテーマで書いているが、以前より頷けるようになったので、また書く。



「自分の心が熱を持ち(1.元気)、自分自身への自覚が生まれた時(2.自反・克己復礼)、自ずと道が生ずる。

古典は、人道(天道)の理(道理)を示し、己の道は人道の内にあると導く。


己の道と共に志を立て、義を明確にして(3.立志、道義を立てる)道を歩み(4.義利の弁、5.見識胆識を養う 6.節操を養う 7.造詣を深める)、造化へと徹していく。


それはもはや己の誠の心のままに生きるという事と同義である。笑うべき時に笑い、怒るべき時に怒り、悲しむべき時に悲しむことであり、同時に節度を持つ(中庸)。


そして、8.広く人と親しみ、9.ありったけの艱難辛苦、栄枯盛衰、喜怒哀楽、利害得失を勇猛果敢に経験していく。


人類の一員として、絶対的な自己として、その進歩・発展のためにやるべきこと、責任を負うべきことは山ほどある。


その中で、限りなく強く大きく温かな心(仁義)や実行力(忠恕)を育み、10.風韻風格を養い、己の道の中で位育参賛・博施備物を限りなく主体的・創造的に体現していく。



何を通じて己の道を歩むか。

起居動作・日常生活・職業・学問・趣味等、己の志と誠と義を見失わなければ、何をしても己の道を離れるということはない。


自分をより良く生きる一助として、造化の理、道理、人道について学ぶことで、精神的背骨が養われる。

その後は、喜怒哀楽の一つ一つ、様々な経験や勉強の一つ一つが、柔軟な筋肉となって骨格を覆い、自己を生き生きと活動させる肉体の一部となる。


最後まで、覚悟をもって己の道を歩む。

その道は、人道であり天道であり、造化そのものである。」



道場は、「各自の道を示す」場でもある。

己の道は自分から離れることなない。

だから、先哲は「人生、至る所が道場だ」と言ったのかもしれない。



[FEG人物論]


1.元気(気力/骨力)を養う。

2.克己復礼。稚心を捨てて志気を養う。

3.理想//目標を持ち、道義を養う。

4.「義利の弁」 何を判断基準とするか。

5.見識(判断力)、胆識(実行力)を養う。

6.節操を養う。誘惑/脅威に動じない。

7.造詣(専門知識・専門技術)を深める。

8.広く人と親しむ。信義/礼節/謙譲を重んじる。元気・笑顔を渡し、また、元気や笑顔を受け取る。

9.勇猛果敢に人間の栄枯盛衰・喜怒哀楽・利害得失・艱難辛苦を経験し尽くしていく。

10.器量/風韻/風格の中で包容力/創造力/一貫性を育む。位育参賛・博施備物に献身。


  文字という制約上、このような書き方になるが、本来は順番があるのではなく、同時存在・同時作用である。

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368話◇根と花


論語や大学、易経などの四書五経の文字は、その魂を表したものであり、それは例えば「根」のようなもの。

根は、よく養わなければならない。

そして、安易に地表に出してはいけない。


自分を貫く義とは、例えば幹のようなもの。

幹は枝葉が伸びてくれば自然と目立たなくなる。


人を笑顔や元気にさせるものは、根や幹ではない。

根や幹に支えられた花や実である。

花や実とは、志を形にしたものたちである。


言葉にするのは、花や実のことでいい。

それらは、人を笑顔や元気にさせるものだから。


根や幹は安易に言葉にする必要はない。

ここぞという時だけでいい。


だからと言って、見えないもの(根や幹)を疎かにしていいわけでは断じてない。


見えるもの以上によくよく鍛錬し養わなければならない。

花や実の美しさは、根や幹の強さにかかっているのだから。


自分の根や幹は、強く大きく深く高く。

しかし、それをあまり語る必要はない。


語るべき、形にするべきは、花と実。

333話◇できない理由は何だ?


勝海舟25歳の日記にこんなことが書かれてある。

「オランダ語の辞書が高くて買えない。借り賃を払い2冊書き写した。1 冊を売り、もう1冊を手許に置く」

「飯を炊くにも薪がない。縁側を剥ぎ、柱を削って燃料にして飯を炊いた」

「困難ここに至って、又感激を生ず」


大変な貧乏でありながら、彼は全く苦にしていない。同じ貧乏であっても、感激を生ずる貧乏をやっている。

「中庸」ではないが、「貧に素しては貧に行い」である。貧乏を全く苦にしていない。ここが人間にとって大切な「分かれ道」である。

「艱難に素しては艱難に行い(中庸)」で、苦にしたり意気消沈したり自暴自棄になるのではなく、それを意気に感じて奮い立つならば、貧乏もまたよいもの。


つまり、艱難辛苦そのものが問題なのではなく、いかに艱難辛苦に処していくかが大切である。結局のところ生命力・精神力・体力元気(気力・骨力)次第である。


能力でも同じこと。

頭が悪くても問題ない。そもそも頭が悪いから勉強ができないと考えるのがおかしい。

一度「志」が立てば、才能の無さや頭が悪いことぐらいは問題ではない。修練努力を怠らなければいい。


志、言い換えれば旺盛なる理想追求の求道心・向上心・情熱があれば、貧乏も頭の悪さも虚弱も多忙も問題ではない。



人がこの理想精神や情熱を失えば、大衆社会の娯楽指導(面白いか儲かるか)機関であるマスメディアが流す情報に浸り、物欲や性欲や食欲等の力に支配されていく。


頭が悪いから勉強できない、忙しいから勉強できないと、できない者や志の無い者ばかり集まると、できるのは批評か喧嘩か破壊だけという情けないことになる。それではホンモノはいつまで経ってもつくれない。


結局、大切なのは「己に還る、自反、克己復礼」である。自分の根本に返り、根性を叩き直し、そこから無限に成長して様々に創り出していくということである。



どうやって自分に返るか。

それを、次回からの勉強会「小学・大学」で共に学んでいきたいと思います。

🔴創造変化11.◇「つくる」という道


「己の道は、◯◯をつくる(築いていく)こと」


0.道とは歩くものである。すなわち実践である。何を実践するか。「造化の働き」を実践するのである。造化の働きを、自らの資質や才能や境遇に応じて、様々に具現化(自己を実現)していくことが、己の道を歩くということである。


1.つくるものは、まず自分である。

自分を把握し、根性を叩き直し、志や理想に向けて心も身体も頭も創造変化させていく。そして、社会や歴史の一部分として、社会にも歴史にも参画して、目に見えるものも見えないものもつくっていく。


何を作るのか。自分の資質・才能・個性を活かし、心が滾るものを作っていくのである。


料理、人間関係、組織、仕事、笑顔、元気、家族、車、スマホ、音楽、悪巧み、遊び、学問、ルール、絵、物語、思い出、身体、アプリ、おもちゃ、機会、来年2月の演武 等々。



2.つくるためにはまず「元気(気力・骨力)」が必要である。

そして、自分の誠の心が滾る「理想精神・志義」も。

仲間もいてくれた方がいい。組織や役割もあった方がいい。

そして筋道を立てて、実行していく。

(創造変化6.◇人物条件と育み方と目標 参照)


その中において、自分を抑えずに全部本気出しているか。毎日毎日根性を叩き直して、日々新たに自分と社会と向かい合っているか。反省したい。


本気で挑めば、相手も社会も本気で向き合ってくれることが多い。

だから、根性を叩き直しながら本気になって己の道を進む。



3.己の心の奥底の滾りから、自分を創造変化させていく。それは換えが効かないオリジナルだ。


そんな自分をエンタメ業界で表現するなら、その人たちは芸能人・俳優・女優等と呼ばれる。

別の業界で表現するなら、アーティストやスポーツプレイヤー、作家、料理人、主婦、父、母、兄、弟無数に職業や役割の名前が入るだろう。



自分を把握し、資質や能力を鍛錬修養陶冶して、造化の働きを様々に具現化していく。どんな時も状況に応じて造化を主体的に具現化していく。それが己の「道」。


言い換えれば、

何を見ても、何を行っても、全てにおいて自分の主体性と創造性を発揮していく。

やるべきこともやりたいことも、一つになって実践していく。心に喜神と感謝を抱いて。

笑顔が減るような生き方はNG

これが道である。



4.自分は何もつくらず、責任も負わず、のうのうと消費だけして生きていたことにようやく気付いて愕然とした。


自分も周囲も社会も、破壊したり批評したり停滞させるのは造化ではない。

つまり、道ではない。


そうではなく、己の心の奥底の滾りを具現化していく。

例えるなら、花は誰かのために咲くのではない。已むに已まれぬ自己(蕾)の発現だ。己の道とはそういうこと。



5.ところで、人間には敬するという心がある。それは、自分より遥かに偉大なもの、尊きものに対して抱く感情である。


敬の根源とは、つくったもの(有形無形を問わず)に対して生ずる感情であり、「つくる」エネルギーの最たるものが「造化」という万物を生成化育していく力である。

私たちも「造化の働き」によって生まれた。


そこで、造化の働きを人が具現化したところに「敬する」という感情が生じるのである。


敬するという感情が芽生えると、その偉大な対象に仕えたくなるもの。

それは、自らもその偉大なもの、尊きものに少しでも近付いて、造化の働きの具現化に参じたいからである。


敬するという心は、人間だけが持つ尊き感情である。



閑話休題

◇私の「道」は、


料理 武道 ピアノ 筋トレ 孝行 活学 書道 仕事 をはじめ、あらゆる経験を積んで器量・機鋒・造詣を育みながら、自分をどこまでも磨いていくこと。

また、強く優しく気高い心を死ぬ時までずっと磨いていくこと。


そして、得意分野での自分のオリジナルと、自分の家族と仕事、ひいては沢山の人の笑顔や元気や安心をつくっていくこと。



「道」とは「造化(つくる)」の実践である。


従って、根性を叩き直すべく本気で問うべきは、

・自分は何を始めたか?

・自分は心から納得できる何をつくってきたか?

・自分は何を築いているか(築こうとしているか)?

である。


これらにまともに答えられないのなら、根性を叩き直して「造化の働き」に参ずる余地は十分ある。



自分を本気でつくる。

自分の資質を活かし、様々につくる。

 

319話◇「力負け」と「気持ち負け」


力量が及ばずに負けたなら怪我で終わる。

しかし、気持ちが負けるようなら、それは病気だ。その病気は何度も繰り返し、どんどん重くなる。


気持ちで負けるというのは、つまり、元気がないのだ。


元気のない男では話にならない。

男は負けてばかりいられない。



「どうせ俺なんて」「だって無理だから 」そう言いたい気持ちは私なりによく分かる。


しかし、いつか死ぬ命なら、命をどう使うか。どう生きるか。

安易な妥協にではなく、己の理想に生きてみてはどうか。


私たちの社会は過酷で無慈悲な一面がある。だからこそ、より良く在ろうと志を掲げて行動することに意義がある。



勝負の前から気持ちで負けてどうする?

そんな男が理想の男なのか?

そんな生き方がしたいのか?



きっと違うだろう?


昨日より少しでも楽しくあるために、

自分の中の理想や誠の心に従える強さを。


「誠の心に従えること」。

何をするにしても、これが最大の武器になる。

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