🔴創造変化7.◇小人(自分勝手な罪悪感)


0.今回は、東洋思想の言う「人物の条件」とは逆、いわゆる小人について。



自分に許可出せなかったり、受け取れなかったりするのは、「倫理観」や「優しさ」が邪魔をしているのだろうか。


皆で楽しもうとしているときに、「皆と楽しむ資格はない」と「自分勝手な罪悪感」に浸り、「俺はいいよ」といって断ってその勢いを削ぐ人がいる。


本人に悪気はないのかもしれないし、それが「倫理観」だと思っているのかもしれないが、「一緒に行こうよ」と繋がりを持とうとしていた人達にとっては、ただただ迷惑以外の何ものでもない。白けるだけだ。


1.東洋思想では、そういう男を「小人」と言って嫌う。未熟者に留まっているからだ。


小人は、私利私欲を自己統制できないし、自分の資質や能力を理解せず、道や義を学びもしない。

だから、勝手な罪悪感を倫理観に置き換えて周囲に迷惑を振りまいておきながら、自分の辛さや悲しさを相手に小出しにして投げかける。

つまり、造化を具現化していく元気がない。器量や機鋒(展開力)が無いのだ。


2.…情けない。

そんな態度では自分も周囲も健やかに成長する道理はない。


そのような自分も周囲も不幸にしていく罪悪感などは不要だ。


学ぶべきは、艱難辛苦・栄枯盛衰・利害得失・戦争と平和、どんな状況でも喜怒哀楽はあるということだ。

ぬるま湯に浸っていると、少し甘くて罪悪感を持った人達は、「みんな平和じゃないと何かを楽しむのは心苦しい。自粛しよう」と思うようになる。それは小人の発想だ。


ぬるま湯から出てみればそうでないことが分かる。

どんな場所にも笑顔はあるし、音楽も元気な子供たちも酒も下心も恋もジョークも、喜怒哀楽や利害得失は全部あるのだ。


だから、そこで自分が如何に主体性・創造性を発揮して、自分も周囲も変えていくか、造化の働きを具現化できるかが重要なのだ。



人間にとってまず最初に身につけるべき徳、つまり子供がまず身につけるべき徳は、「明るい」「温かい」「清潔」「健やか」だ。

自分勝手な罪悪感で、自分や周囲に明るさや温かさを伝えることは難しい。


小人のままでいいとは誰も言わない。そんな罪悪感は手放して改心する。

成長・共栄・調和に、それぞれの理想像に、少しでも近付きますように。


自分にもっと様々なことを受け入れる許可を出す。そんな器量も元気も無いなんて、何も始まらないじゃないか。



◇私に元気はあるか。理想はあるか。自分を社会に曝しているか。覚悟を決めて、様々なことを成し遂げ、受け入れる許可を出しているか。小人のままではいけない。