タグ:人間

520話◇昆虫じゃなくて人間に生まれた


どんな生き物の魂も平等と仮定して、人間に生まれることがどれほど奇跡的なことか、他の生き物と比較して愚考してみる。


・人間=76億人(世界人口)。


・アリの数=約1京(1兆の1万倍)。すべてのアリの重さを計算すると、全人類の総重量に匹敵するとも言われる(「蟻の自然誌」バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン共著)。


・昆虫の総数=100京。

人間の人口を100億としても、昆虫の数(100京)は、その1億倍。


単純計算すると、人間に生まれる確率は昆虫に生まれる確率の1億分の1に過ぎない。私たちが昆虫に生まれなかっただけでも奇跡的なことかも。


IUCN(国際自然保護連合)の資料によると、動物は137万種。植物は30万種。

ウイルス、細菌、菌類まで含めた、地球上のすべての生物を含むと、地球で暮らす生物の種類は870万種(3,000万種類以上という説も)。


・哺乳類は世界で5,513種が見つかっている(日本では127種)。

・背骨がある脊椎動物は世界で66178種。

・カラスやスズメなどの鳥類が1425種。

・爬虫類が138種。

・魚類は25,000種(1万種類は淡水魚)。

・カブトムシや蝶などの昆虫が約100万種。地球上にいる動物の種の70%以上を占める。


人間に生まれたこと…、いかに奇跡的で有り難いことか。w

IMG_2558


第372話◇命の尊(とうと)さ


生命は尊いものである。

一度きりの人生、かけがえのないただ一人の個人、あなたの代わりはいないのだから…。




誰もがそう主張できる。



しかし、そう思って自分や他者の命を扱っている人は、どれほどいるだろうか。



自分の命と人生を大切にして、

他人の命と人生を大切にして、

自他を活かすための収容鍛錬を怠らず、


どんな環境においても、見限ったりへこたれたりすることなく、自他を輝かせているだろうか。



今日の命の使い方は、人間としての尊さを感じさせ、人間として生きる喜びを、自分にも他人にも与えただろうか。



「命は尊い」と言うなら、

尊さの名に恥じないよう、今日成すべきことにひたむきに取り組む。

そして、他をも大切に。


今日も健康と健闘を!

世人余話◇人間と他の動物を分けるもの


人間と他の動物を分けるものは何か?

人間は火や言葉を使う。頭脳が発達している。これらが他の動物と違う点だろうか。


人間を機械化するのではなく、人格的存在であるという観点から他の動物と違う特質を考えると、大きく2つある。それは、「徳性」と「知性」である。


1.徳性/習慣

明るさ、素直、清潔を好む、勇気、忍耐、孝、仁、義、礼、敬愛、謙虚、慈悲等。

そして、徳性を修める躾や習慣。


仮に、人間が明るさを失って暗くなり、不潔を好むようになり、人を愛さなくなり、勇気も忍耐力も無くしたら、人間はどんな存在になるか。


2.知性/技能

知識、技術生活を便利に豊かにするものを生み出していく。文化や文明を築いていく力となる。



例えば、徳性があまり発達せず、知性のみが発達しても、これは意味がない。

高度な知識や技術を使って様々な道具を生み出しても、人類の成長や発展の為ではなく、仁義も敬愛も慈悲もなく、利己的な満足や破壊の為に使用されかねない。


逆に、知性があまり発達しないからといって、人間としての根本的な価値に影響はない。

知識や技術は便利であり価値あるものだが、人間の人格にとっては付属的なものである。それよりも、人を愛したり助けたりすることを知らない、敬ったり恩に報いることを知らない、勇気や忍耐力がなく、不潔で暗い人間であるというのでは、全く話にならない。



「徳性」が本で、「知性」が末。

徳性が根っこで、知性が枝葉。

根っこを培養することで、枝葉に栄養を送り、様々に自己を表現し社会に献身し、花実を結実させていく。



従って、教育においても学び方に順序が出てくる。

1.徳性

2.徳性に基づく習慣

3.知能

4.技能


徳性が、習慣や知識や技術をコントロールする。


この本末を転倒させると、とんでも無い事になる。


私は、人格という根を深めているだろうか。そして、志や目標に向かって伸びる大樹になっているだろうか。

プラネットアース
野生動物の映像を観た。
当然だが、野生動物は命懸けで生きている。
生きるという緊張感と覚悟がヒシヒシと伝わってくる。

自分が生きるために獲物を殺し喰らう。


私たちも、他の動植物の命を殺し、それを喰らって生きている。

例えば、本来親子丼が食べたいなら、
本来なら、まずは鶏を絞めて殺すことから始めなければならない。

鶏を逆さに吊るし、バタつく鶏を羽交い絞めにして目隠しをする。そして、首を切り落とす。
血を抜き、茹でて、毛をむしる。バーナーで細かい毛も焼く。
尻からナイフを入れて内臓を出す。
むね肉、もも肉、手羽、のど等に分ける。

スーパーで売っているのは、肉を分けたこの状態にしてから。

「殺す」行為を端折(はしょ)るから、通常私たちは、他の動植物を殺す自覚は持たない。
しかし、私たちは毎日殺している。殺し、喰らい、生きている。


では、私たち人間が、他の動物と違う所はどこだろう?

動物は鋭い爪や牙を使って殺す。
そして、自らを生かすために喰らう。

人間は知識と技術を使って作った道具や武器を使って殺す。
そして、自らを生かすために喰らう。

「生きるために、殺し、喰らう」という点は動物も人間も変わらない。


動物と人間を分けるものは、
相手を敬愛する、尽くす、恩に報いる、恥を知る、誠実、勇気、感謝、仁義、礼節、忍耐、孝行、孝悌、忠義、志、明るい、清潔…等、
「造化」の働きを発揮する「徳性」を持っているかどうか。

従って、徳性(例えば、思いやり、敬意、礼節)を失うことは、人間として最大の堕落となる。

知識・技術・習慣は、徳性の上に乗せるべきものであり、徳性が根底にない単なる知識や技術というのであれば、動物と変わらない。


さて、皆で飯を喰らいながら思う。

私たちは、人という種の「動物」として生きるのか、それとも「人間」として生きるのか。

↑このページのトップヘ