🔴創造変化3.◇目標とは「道」であり「予定」である
0.世の中がどんなものかは、自分の主観を離れて認識できるものではない。
だから、自分の固定観念や思考が変われば、世界の認識の仕方も変わる。
固定観念や思考が変わるそのきっかけは、何かから学んだ時かもしれないし、今までの考え方を変えなければ対応できないことが起きた時かもしれない…。
1.物事には「終始本末」がある。
物とは存在であり、そこには「本末」がある。
事とは出来事であり、そこには「終始」がある。
物事の終始本末を間違える…本末転倒するとおかしくなる。
では、私にとって「目標」は本か末か。「生き方」「在り方」は本か末か。
本とは「根っこ」、末とは「枝葉であり花実」に例えてみたらよく分かる。
「目標」は末。
「生き方、在り方」は本。
生き方を決めるのは、理想精神や志義。そこから縁に沿って、強く豊かに枝葉を伸ばし、花実(末)を結ぶよう邁進する。
もちろん、物には本末があるのだから、「目標」が不要というわけではない。目標も大切。
目標にすがらない、目標を「本」にはしないという事だ。
cf.東洋思想◇「臨済録 示衆」メモ
http://ameblo.jp/goethe-feg/entry-12266946565.html?frm=theme
cf.東洋思想◇「臨済録」から学んだ
http://ameblo.jp/goethe-feg/entry-12267441992.html?frm=theme
目標がないからといって、自分を躍動させられないのなら、それは「目標がないと一生懸命になれない」という「生き方」のせいではないか。
◇私の理想は何か。どんな「生き方」を志しているのか。
・自分の資質・才能に応じて修養鍛錬。自分が変わっていくことにワクワクする。
・不撓不屈。怯まず臆せず勇敢に、人生のあらゆる艱難辛苦・利害得失・喜怒哀楽・栄枯盛衰を味わい尽くしながら、自分の信念(理想精神)を試していく。
・矛盾を克服して一段上へ成長する。
・人に優しく。すると、その場に調和が生まれやすい。
・覚悟を決める。
2.目標という「末」をあまり気にしないのが、例えば「稽古」。
稽古とは「古きと稽(くら)べる」。昨日の自分や師とくらべてどうか。
昨日より少しだけでも変化しているか。
この積み重ねが、自分をとんでもない高みにまで連れて行ってくれる。
強いて「目標」を言うとすれば、それは「道を歩き続ける」ことか。
もしくは、目標とは、生き方・在り方の積み重ねの先にある花実のように自然と結ばれるもの。
従って、目標は予め定めたもの。「予定」と同義となる。
cf.第292話◇努力の基本
http://ameblo.jp/goethe-feg/entry-12265570719.html?frm=theme
cf.第294話◇集中を妨げるもの
http://ameblo.jp/goethe-feg/entry-12269120566.html?frm=theme
そもそも、「道を歩き続ける」以外に、目標は必要だろうか?
必要な時もあるし、不要な時もある。
必要な時は、3時間後のことでも30 年先のことでも、予定としてスケジュールに入れて準備を始める。
必要ならば目標を掲げる。予定なのだから、出来るか出来ないかを考えて手帳に書き込むわけではない。
やり遂げるという覚悟や意志の表明である。
目標をこんな風に考えると落ち着くし、同時に心はワクワクして静かに滾る。
今の私にとって目標とは、「道を歩き続けること」であり、「蓋然性の高い予定」である。時が来ればまた変化していくのでしょう。
◇このブログで追加する私の目標(道・予定)は、
・昨日より少し自らの理想に向かう。
・心中常に喜心を抱く、感謝、陰徳を積む。
・お金の使い方の上達を図る。成長・共栄・調和に繋がらないことに金は使わない。
・収入のルートをたくさん構築する。
・ブログからも仲間を増やす。
・お盆明け、大切な人と過ごす。