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322話◇静謐な心


自らの

姿勢を整え、

呼吸を整え、

場の空気を整え、


そして

対象をじっと見据え、

こちらから近付いて応対していく。



その応対のリズムを変化させていくのは構わない。寧ろ、時に応じて変化させていく。


しかし、壊してしまってはダメ。


壊す原因の多くは、自らの表現の幼稚さにある。

例えば、言葉が丁寧でなくなったり、

立居振舞に礼節を欠いたり


壊してしまったら、


再度、姿勢を整え、

呼吸を整え、

場の空気を整え、


そして

対象をじっと見据え、

こちらから近付いて応対していく。



お互いに目指すゴールは、一つの地点しかないというものでもない。

落し所は千変万化する。


但し、理想は掲げ、筋道は立てておく。


その時その時、どこまで先に行けるかは、お互いの器量と機鋒(展開力)による。

今より前進して、踏み行うべき大道の上に着地させればいいのだ。


そうすれば、また次に繋がる。

成長・共栄・調和へ向かう。



組手稽古においても然り。

1.姿勢・呼吸を整え、相手・場との一体感を持ちながら対峙する。目的と筋道を立てる。

(三才地・現実)、造化(一触即発)


2.実力に応じて攻者と守者の攻防が展開する。千変万化に応じる。

(三才人・実現)、造化(創造変化)

この局面(2.)での自己の実現の手段が、鍛錬修養して身につけた技術。


3.落し所。成長・共栄・調和の道の上にあるか。次へ繋がるか。

(三才天・理想)、造化(創造展開)

320話◇静謐なリズム


喧(やかま)しい。ソワソワしている。

それでは物事に即応するのは難しい。

もっと心を落ち着かせる。


もっともっと落ち着かせる。


ゆっくりと呼吸して、

もっとゆっくり呼吸して、


静謐に静謐に。



調和は、どうすれば最小の関与、微調整でバランスが回復するかを考えて行動する。


そうして、また静謐に静謐に。



やがて、その時その時にピッタリ応じていけるようになる。

静謐だから安らかになり、安らかだから余裕があり、余裕があるから遠くまで慮ることができ、ズレることなくピッタリ応じていける。


言葉も、多い少ないではない。

声も、雷のようだ虫のようだではない。

態度も、大きい小さいではない。


その時にピッタリと応じていく。


静謐こそ、どんな事態にも即応できるリズムとなる。

世人余話◇きっと同じ


▪️書道

硯で墨をすっている時の穏やかさ。

筆を手にした時の緊張感。

和紙が墨を吸い込んで見せる変化。

己が別の世界に漂い、我欲から離れる。

そして残心。

次の準備という後始末。


▪️武道

坐禅やストレッチで心身を整える。

構えた時の緊張感。

お互いの攻撃、受け、反撃の千変万化。

己が別の世界に漂い、主観を離れる。

そして残心。

次の準備という後始末。


▪️学問

机を前にして正座。準備をしている時の穏やかさ。

経書を手にした時の緊張感。

言葉が繋がり、深化しながら現れる千変万化の実践。

我が道を歩き、我欲から離れる。

そして残心。

次の準備という後始末。


▪️仕事

目標を立て、実行計画を整える。

準備を積み上げながら緊張感が高まる。

仕事が始まり私利私欲より目標達成へ千変万化に展開していく。

目標を勝ち取って祝杯、または敗戦処理という後始末。



人間の活動は様々であり、各々に独特のリズムがある。


でも、

それらの本(もと)のリズムは、きっと…同じ。


きっと同じ。

礼楽というのは、人間の文明・文化である。


そもそも、存在しているものは全て、全(まった)きもの、「全体」であると同時に、その全体を構成する「部分」でもある。


なぜ部分として千変万化しながら存在するのか。

それは、自然は造化であり、万物を創造し変化させていくはたらきだから。

そのはたらきにより、物事は無限に分かれていく。


しかし、どこまで分かれていっても、それは一つの全体でもある。

あらゆるものは「全」であり「分」である。


そこで、

全体を構成する各々を「自分」という。「自」というのは、「自ら」という主体的なものであり「絶対」的なものである。

しかし、そこには必ず限界がある。それを分際、分限という。


つまり、人間は自由であると同時に、分際という限界がある。

権利と義務とも言う。



何(いず)れにしても、

自己は必ず他に対して、全との繋がりを持って存在している。

自・他・全と繋がりあって存在している。


自が、他と全に調和して存在・活動している時が、一番自然な状態である。

これを「君子は、和して同ぜず」(君子は皆と調和するが、付和雷同で従うことはない)と言う。


この調和している時が「造化」の力は一番よくはたらく。


これが素直な姿である。


生は静であり動である。

これは調和であり、調和から生まれるリズムである。これらにより万物は創造化成していく。


この調和のことを「礼」と言い、

そこから生まれるリズムを「楽」と言う。


つまり、

「礼楽」とは、万物が自然の真善美という調和を保ちながら、元気溌剌として活動し、万物を創造化成していくことを言う。

つづく

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