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430話◇嘘


テレビをよく観るだろうか。

「お天気コーナー」以外のほぼ全ての番組は、ニュースでもドキュメンタリーでもバラエティーでもドラマでも、画面に映るものは全て虚構である。


スポンサーやプロデューサーの意向に沿うように、情報の送り手側にとって有益に構成・演出されて、流される。


映像や音声や情報を逆算し、そこに己の想像力と洞察力・観察力を加えて深く分析しなければ、嘘に流される。


要するに、メディアやネットから溢れてくる情報は、ほとんど嘘である。

特に、自分発信のSNSは虚飾の塊のようなもの。その嘘を理解した上での「嘘ごっこ」で「いいね」とやってるなら問題ない。


しかし、これがバーチャル(嘘ごっこ)じゃなくリアル(現実)の生活の一部になってしまっているとしたら、問題である。



リアルというのは、目の前の具体的な現実のことである。視覚や聴覚だけでなく、五感全部で感じられる。


現実とは、「いいね」が100ついたというのではなく、今目の前に100人いるとして、その100人を「いいね」と頷(うなず)かせる話なり表現なりができるということ。


現実とは、美味しそうな食べ物の写真をSNSに投稿するのではなく、家族や友達と一緒に食事を作ってワイワイ楽しんだり(喧嘩したり)すること。



メディアの中の世界は虚飾である。

バーチャルにリアルを侵食されていいのだろうか。

現実99%、バーチャルは1%の比率くらいが丁度いい。笑

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429話◇実際にやる


「理解」とは、自分の経験を通しての気付きや閃きのこと。


だから、実際に「やる」。

バーチャルではダメ。


「やってみろよ」と言うと、「つまらない、面倒臭い、疲れた、眠い」等と言って、頭の中だけで勝手に結論出してしまう人がいる。

そんな風に物事を考える人は、気分が落ち込みやすい。


当たり前だよ。

頭の中だったり、バーチャルだったりするのは、実際にはしてないわけだから、リアルの醍醐味はない。それじゃ、あんまり面白くない。面白くない、つまらないなら、気分は落ち込んでいく。


「やることがない、つまらない」のは、自分の主体性・創造性を発揮していないから。



頭の中でイメージを描いたら、身体を実際に動かしてやってみる。目の前のこと、何でもやってみる。

そこに椅子があるなら、その椅子を何とかして、面白くしてみろよ。

座ってるだけじゃなくて、その椅子の脚一本でバランス取って立たせてみるとか。笑


実際にやってみる。

そこから、いろんな試行錯誤や創意工夫、様々な物事や人々との結びつきや機会が生まれ、面白くなっていく。色んなことが分かってくる。



外からの情報や他人の経験やデータに縛られて、分かった気になってる場合じゃない。

バーチャルの経験しかないのに、実際にやった気になってる場合じゃない。




気分が落ち込みやすい人は、バーチャルから離れてリアルに徹する。暇な時間を作らないこと。主体性・創造性を発揮して。



皆が「つまらない」と言うことでも、

「私だったら面白くできる」と言って、色々やってみる。

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