酒◇人の弱さを責めるな
自分の弱さは自覚している。
しかし、私が弱音や愚痴を言おうとすると、親友は「そんな事はない」「もっともっとお前は強い」と、私の言葉を否定する。
己の志義や造化(創造変化)のはたらきから離れるような心でいると、「それは偽りのお前だ。本当のお前はそんなものじゃないだろう」と私を責めて、弱い私を否定する。
「そんなつまらない話題は負け犬達に任せておこう。そんなことより、もっと面白い悪巧みをしよう」
私の親友は強くて優しい。
彼の優しさとは、人の弱さを絶対に責めないところにある。
私の思考が様々に錯綜してくると、「そんな考えはつまらない」と彼は言い放ち、造化に即し志義に逆らわない強い筋道を立てろと、大笑いしながら私を促す。
つまらないかどうか、その基準は明らかだ。
それは「造化に逆らっていないか。つまり、己の志と義に順っているかどうか」だ。
彼の心は造化そのもの。だから、彼はただ「面白いかどうかだ」と笑うだけだ。
彼の立居振舞や思考や言葉は、造化のはたらきをその時その時に応じて様々に具現化する。まるで魔法使いのように、その場の雰囲気を強く明るく温かくして、皆んなを笑顔に元気にしてしまう。
その基準に合わないもの…臆病、卑屈、怠惰、無関心などは、全てつまらないもの。当たり前だ。
私が「これは無理かも…」と思ったとしても、「じゃあ、できる事は何だ?」と、すぐに造化へ向かうよう、志義に逆らわないよう、思考や態度や行動が切り替わるのは、間違いなく彼の影響が大きい。
世の中は思っているよりもずっと複雑で、でも「死中有活」。思っているよりずっとシンプルに死中に活路を見出せるのだ。決断とは恐いものではなく、自分を溌剌と活かすものだ。そんな境地になれるのも、彼のお陰だ。
彼は百戦錬磨の豪傑で、最高の笑顔の持ち主。
彼は、私を含め沢山の人の心の中で、ずっと生き続けている。
思うに、、本当は負け犬なんて一人もいない。
もし、自分のことを負け犬だと思っている人がいるとしたら、それは人間の力を見誤り過小評価しているだけだ。
甘えるな。
いつまでも負けっぱなしでいるな。
今夜は、強くて大きくて、明るくてあたたかい…そんな太陽のような男たちに、みんなに、乾杯。