カテゴリ: 男と女

男と女◇英雄(ヒーロー)の器


ヒーローを目指す。


しかし、何事も陰陽の側面があり、ヒーローもその例外ではない。


カッコいいという「陽」の側面に憧れて英雄(ヒーロー)を目指したものの、その立場に纏わり付いてくる「陰」の側面、つまり、因果や業(ごう)のとんでもない大きさを背負いきれるものではないという現実に愕然とする。


英雄(ヒーロー)の辛さに耐えられる器を持っている人は誰もいなかったという現実に引き戻されることも少なくない。



英雄とは、全ての思惑や責任を引き受けて、なお微笑みを絶やさず、言葉一つ一つに心を込めて話しができる人。

とんでもないプレッシャーの中にあっても、優雅に振る舞い、物事を進めていける人。

全ての物事と、全ての人の気持ちを背負って、それでもなお自然体でいられる人。



それでもなお、英雄(ヒーロー)を目指す男と女は、覚悟を決めて「逃げない」「忘れる」「楽しむ」努力を死ぬまで続けていくしかないんじゃないだろうか。



そうすれば、せめて大切な人にとっての英雄(ヒーロー)になれるかもしれない。

男と女◇冷たい男、甘い女


その男の強さが、相手の気持ちを汲まずに冷たくいることで得られているとしたら、彼は強い人ではなく、冷たい人。

冷たさじゃ、物事は育めない。



その女の優しさが、相手の気持ちを汲まずに温かく振る舞うことで得られているとしたら、彼女は優しい人ではなく、甘い人。

甘さじゃ、人は育めない。



人は自分の存在感の拠り所がないなら、

そんな自分の手を握ってくれた他者を利用したり頼ったりする。


でもそれも仕方ない。

人は不快な環境が続くと、心一つさえまともであることが難しくなり、さらに寄って立つものを失えば、生きていく事の意味も失うことがあるから。


人が私利私欲を叶えて生きる動物ではなく、人間らしく生きるには、理想も意味も快適さも必要だ。



冷たい男も甘い女も、

自らを把握して理想や志を持てれば、強く優しくなれることもできるのだけれど。


心の霧が晴れてしまえば、何を迷っていたのか思い出せないくらい広く見渡せるようになって、

人の優しさや強さを信じ、頼ることもできるのだけれど。



そして、冷たさや甘さを手放すことができるのだけれど

男と女◇弱くなって強くなって…


男は、

心の滾りに任せて死ぬ気でできた事も、大切な人ができると、「こんなところに命を賭けるのは馬鹿馬鹿しい」と思うようになる。


死ぬ気で取り組めたことに死ぬ気で取り組めなくなる。

女は男を弱くする。



男は、

今まで心が弱くて私利私欲に流されていた事も、大切な人ができると、「このまま流されては生きていけない」と誓うようになる。


己の志や義が生まれるから、節度が私利私欲を自己統制できるようになる。

女は男を強くする。



女は男を弱くし、

女は男を強くする。



そして、男は理想と覚悟が定まる。


覚悟が心を静寂にさせ、心の静寂は安らかさを生み出す。その安らかさは未来の筋道を立てる。

その道に従って、男は様々に事を成して遂げていく。その任は死ぬまで。



女は…、男が覚悟を決めるずっと前に、

当たり前のように覚悟を決めている。


女は強い。

そして、ただただ優しくなっていく。



全てを包容して育んでいく大地のような女と、

大地に支えられてどこまでも伸びていく大樹のような男。


男と女の関係は、尊きものに。

男と女◇言霊(言魂)ことだま


言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。

声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。

Wikipediaより)



ただ、

弱い男や女の言葉に言霊(力)はない。

浮ついた者がどんな言葉を発しようと、その言葉に力はない。誰かを呪う力も鼓舞する力も祝福する力もない。


だから、万一つまらない男や女に何かを言われたからとって、気にすることはない。



その昔、「言(こと)」と「事」に区別はなかった。


「言」は「事」であり、事は出来事である。


出来事には終始(始まりと終わり)があり、

出来事から「物」が生まれる。

物とは存在であり、存在には本末(重要な部分と瑣末な部分)がある。


従って、物事には終始本末がある。

それを間違えると「本末転倒」になる。


本末が転倒しているとは、きちんと筋道が立っていない、あるいは肝心なことを忘れて、つまらないこと大事にしてしまっていること。大きな失敗はここから起こる。


それだけに、「言(事)」を言ったり起こしたりすることは、とても慎重であり、また大切であった。



磨かれた人格から出た言葉には言霊(力)が宿り、それは出来事となる。

 


男も女も、人格が磨かれていけば、

目の前の相手には、心そのものが伝わるようになる。


だから、彼氏彼女や夫婦は言葉が少なくなっていくこともある。


お互いの人格が磨かれていくから。

心が通じて、目で会話ができるようになっていくから。



そして、そんな男や女の語る言葉には、

「言」を「事」に変える大きな力が宿る。



人格を磨き、

言葉を出来事に変え、

受け取る。


男と女の、心と言葉。


心の形、言葉の力。

男と女◇「お前のために死ねる」


「お前のために死ねる!」とは、男は自分の女には言わない。

残された側の気持ちがどんなものかを考えたから。



女は男に真逆なことを言う。

男には、女の覚悟と心が深く深く伝わっている。



逆に、

男は「お前のために死ねる!」と言い、女は「そんなことは言えない!」というカップルもいる。



男と女、

言うことは真逆なのに、

ふたりは同じ心を抱いている。


男と女、

心の尊さ。

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