カテゴリ: 世人余話

世人余話◇Love & Fight という意志


生きていくには、「生きる」という強い強い意志がいる。当たり前だ。それがなければ堕ちやすい。


誰かが「生きろ」と言ってくれたら楽かもしれない。


しかし、そうやって生きるのは「生きる」意志を自ら持っているのとは違う。主体性を忘れたら、考える力も意志も弱くなって流されるばかりだ。


「生きる」という強い意志を持ったら、生きる為の術が要る。

衣食住。食べる、寝る、学ぶ、活動する、団結する

魚そのものより、魚を捕る方法が必要だ。



そして、「何かをつくっていく」。


「生きる」ためのつまらない理由をこじつける前に、自分と向き合って、何を選び何を捨てるかを決める。

決めたなら、生きる。自分の手足を動かして築いていく。



時に、自分ではどうしようもないこともある。打ちひしがれて立ち止まる。

それでも一日は過ぎていく。社会は止まらない。決断を先延ばししたところで、時は待ってはくれない。


だから、後で後悔して追いかけなくていいように、いつも自分と向き合って、選ぶか捨てるかを決める。



「欲望」を「誠の心」で束ねていく。


何をするにしても、何かをするというのは、今、自分にとって最大のイベントかもしれない。

今やることは、テレビ観て笑うことか?スマホをいじることか?何も手につかないと言って引きこもることか?

そんなことではないはずだ。


臆病・怠惰・卑怯を選んでいないか。


強くなって恩返ししなくては、自分の居場所なんて築けない。

勇気の欠如は幼稚な態度だ。その態度では更に甚大な損失を招く。


Love & Peaceではなく、

Love & Fightで。


今日も暑い熱い一日を。

世人余話◇求めるものは?


目的と手段は明確であろうか?


例えば、銀の弾丸を使って雀を撃ったとしたらどうだろう?

貴重なものを用いながら、求めるものは貧弱だと言って笑わないだろうか?


人間の命、身体の価値はどれくらいだろう。

それを用いて、何を求めるのだろう。


人が求めるものは、人が求めるに値するものだろうか。

世人余話◇寝ても覚めても


夢を見ました。

誰かとお互いにお辞儀をしているのです。

お辞儀が終わると、誰かが「互角ですね。第2ラウンドに移りましょう」と言いました。

これだけです。笑


目が覚めてふと思いました。

儒学における五経の1つ「礼記」の中の「学記第十八」で説かれる学問の在り方に「蔵脩息游」、いわゆる「四焉(しえん)」という言葉があります。


「君子之於学也、蔵焉脩焉、息焉游焉」

(君子の学に於けるや、焉(これ)を蔵し、焉を脩し、焉に息し、焉に游ぶ)。


学問や物事に通じようと思えば、問題とするところを自らの中に蔵し、これを脩(修)め(整理し)、息をするように自然に行い、優遊自適に探求を進めるべきと教えます。


「蔵」は、学ぶ段階で、基本をひたすら取り入れ、蓄積(暗記)する段階です。

次の「脩(修)」は、姿を整えるという意味があります。蔵で学んで蓄積した事を、整理するという意味です。例えば、いろんな事例から、何かの法則を見つけたり、パターン化、体系化する事です。

「息」の段階になると、学んで身につけることが呼吸をするのと同じように自然なものとなります。 

そして「遊」は、気の向くままに自由自在で遊々自適な境地の中に遊びながら学問を深めていく段階です。


私は、「蔵 遊」を「修 遊」と、少し順番を変えて学ばせてもらっています。


お互いのお辞儀が第1ラウンドだとしたら、これは「修」だと思いました。お辞儀は礼であり礼には「形」が必要です。


2ラウンドは「蔵」のテーマが隠されているはずです。「形」の次は何が来るのか?陰陽のバランスからすれば、「感情」でしょう。感情を内面に隠した(蔵)表現が求めらるのかもしれません。


3ラウンドもあるなら、そののテーマは「息」となるのでしょう。その人のリズムが試されそうです。


そしてファイナルラウンドは「遊」。各々の自在な広がりと臨機応変さが試されるのかもしれません。


あの夢は、一体何の勝負だったのかは分かりません。

ただ、「四焉(しえん)」を思い出し、そして「孟子」を読み返しました。


結果、

新しい悪巧みと、新しい仲間を得ることがてきました。

世人余話◇枕の高さ


「枕を使わない方がよく眠れる」という人がいる。その人は、自分に合わない枕を長年使っていたのかもしれない。


枕を使わない人でも、

・仰向けで寝る人は、両手を頭の後ろで組んでいたり、

・横向きで寝る人は、自分の腕を枕にしたり、

・うつ伏せで寝る人は、手の甲の上に顔を乗せていたり、

自分の身体の一部を枕としていることも少なくない。ただ、ずっと腕を枕としていると、痺れてくるが



枕を使わないで仰向けで寝ると、頭の位置が低いせいで、顔や瞼(まぶた)がむくむこともある。


枕は、快適に眠るための一助になる。


首や肩の緊張が取れ、呼吸が楽で寝返りしやすいことが、私にとっての枕の条件。


寝具についても、身体が沈み込むような柔らかいマットレスや敷布団は、寝返りしにくいため、ひとりで寝る時はNG



さて、枕の高さについて。


高さの目安としては、背を壁に当てて立った時、壁と後頭部の隙間がその人にとっての枕の高さ(一般的には女性3 4cm、男性35cm 程度)。

ただ、立ち方が猫背だったり反り腰だったり、何か癖がある人にとっては基準にならないから参考程度に。


そういえば、全く枕を使わずに仰向けで寝る人は、壁を背にして顎を引いて立った時、「後頭部」と「肩の後ろ」と「お尻」と「踵」が自然に壁に触れる人が多い。



一般的に、高さ35cm 程度の枕が身体に優しい。そこから、自分の身体の心地良さを目指して調整する。


そんな枕を自作するなら、

例えば、

1.厚手で大きめのバスタオルを縦に半分に(長い辺同士を合わせる)折り、


2.向きをかえ、 Z状(ジャバラ)に折りたたむ。実際に寝てみて、首・肩・呼吸が楽か。寝返りしやすいかを確認する。

低ければ、臨機応変に工夫する。



ところで、

男が女にする腕枕。

女性にとって心地いい腕枕であり、尚且つ、男にとって腕が痺れない腕枕の仕方がある。


基本は、腹筋するときのように頭の後ろで手を組んで仰向けに寝る。その時、隣にいる彼女に「二の腕の所(肘関節の内側)にどうぞ」と言えばいい。

後は、様々に工夫を。



この時期、快適な枕ライフを!

世人余話◇考え方6原則


物事を、特に重要重大なことを考えるとき、「如何に考えるか」を知っているかどうかで、答えは変わってくる。


そんな「考え方6原則」


1.短期的⇄長期的

短期的に考えるだけでなく、長期的に考える。短期的に考えて出した答えと、長期的に考えて出した答え、それらは正反対になることが多い。

長期的に考えたい。


2.一面的⇄多面的

上と同様。一面的に考えるだけでなく、多面的にも考える。


3.表面的⇄根源的

「そもそも、この問題の本質は?」と考えると、表面的な雑多なことだけでなく、それらを束ねている根源的なものを把握できるかもしれない。


4.他人事⇄自分事

これも、他人事として考えるのと、自分の事として考えるのとでは、答えは正反対になることが多い。


5.大衆的⇄エリート的

相手によって話すべきことと話すべきではないことが明らかになる。

また、求める成果のレベルも全く変わってくる。


6.主観的⇄事実的(客観的)

もしも心が揺らぐなら、主観的見地から問題を眺めても、なかなか現状を打破するのは容易ではない。主観的判断よりも、まず事実を認識することが大切。



相手と議論になったら、まず相手はどのように考えて話しているのかを見定めなければならない。

仮に相手が長期的な展望をもとに話しているのに、自分は短期的見地からものを言っても、そもそも立っている土俵が違うのだから、議論に益はない。


ただアイディアを様々に出すというブレストならば別だが、

同じ土俵で意見をぶつけることで、議論は実効的になる。


答えの目処がついたら、「行いに敏ならんと欲す」。


時に、早食い大会で優勝を狙うように勢いを持って、

時に豪華なフランス料理のフルコースを味わうようにして、

物事を堪能していきたい。

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