カテゴリ: 世人余話

世人余話◇終わりがあるから美しい。


今日という日は二度と来ない。

始まればいつか終わる。


同じ事は続かない。


私たちもひとりひとり異なる。だからそれぞれは尊くもある。



調和あるところ、組織あるところに、生命の存続発展はある。


「調和あるところ」とは、それぞれは異なることが前提だ。陰陽異なるからこそ和していく。

例えば男と女。


「組織あるところ」とは、異なる者同士、親和団結して一つとなって、様々に分化発展していくことだ。

例えば男と女。笑


調和がなければ、闘争か断絶に向かう。

組織がなければ、力が抹消化して消滅していく。


陰陽相親しみ、相交わるところに、進歩発展がある。


そして、始まったものはいつか終わる。

築き上げたものを後進に託して。

世人余話◇人は意外と利己的じゃない


「人間」という言葉は、「人と人との間」ということで、人間は社会を離れては生活できない。

「人間」という言葉は、すなわち「社会」と同義である。


社会に住むひと、社会で生活している人を人間と呼ぶ。


人間は利己的なものだが、意外と利己的じゃなかったりする。協同的な存在という側面もある。

自分と他人との「一体感」を根っこでは持っている生き物である。


その証拠に、例えば、

他人のことを「我(われ)」と言い、

他人を罵るときに「己(おのれ)」と言う。

相手のことを「自分」と言い、「手前(てめえ)」と言う。


「我」「己」「自分」「手前」、どれも自分のことだ。

皆、根っこでは協同的なものだ。


愛すべき人たち。


世人余話◇地獄に堕ちる


落ちていたと思っていた地獄は、何とも他愛のない場所でした。


もしも精神が参ったら、支えてくれるのは肉体です。肉体が弱ったら精神も切れてしまうかもしれません。


だから、精神が参ったら、無理にでも食べて、肉体を動かします。

精神を肉体に引っ張ってもらい、元気を取り戻します。



他愛のない地獄に長くいると、いずれ慣れてしまいます。

しかし、こんなところに居心地の良さを見つけても意義はありません。


だから、地獄に堕ちた負け犬同士で徒党を組む必要はありません。


地獄を楽しんだら、

そこから這い上がるヒーロー物語の主人公を演じます。


ドキドキハラハラさせてくれる物語を、たくさんの観客に上映して下さい。

世人余話◇失敗、間違い、過ち


・失敗物事をやり損なうこと。方法や目的がまずく、良い結果が得られないこと。

成功への途中経過。

経験から学ぶことで正せる。


・間違い真実と違うこと。過失。的外れ。

学ぶことで正せる。


・過ち度が過ぎて人としての正しさを失うこと。己の義に反する道徳的な間違い。

もう一度、一からやり直すには、まず償わなければならない。

償いは、己を省みて過ちを認め、人として相応の継続した義の行いが必要。

人としての義を学び、己の正義を立てて、過ちを断固として正していかなくてはならない。



何もせず、逃げているばかりだと、前を向くことさえ出来なくなるかもしれない。


今日で人生を終わりにしないなら、

明日の自分の為、己の造化のために、今できること、今すべきことを選択する。


自分で自分を壊してはいけない。

自分とも周囲とも、断絶している場合ではない。争っている場合ではない。

世人余話◇道理に外れる


道理に合わないことなど山ほどある。


自分の撒いた種でも何でもない不条理、理不尽さに巻き込まれることだってある。


無差別テロ、通り魔、事故等々。

そこで命を落とすかもしれない。



知らないうちに自らが被害者になり、

また、知らないうちに加害者になることもある。


自分のできることなど、世の中の理不尽や不条理に比べれば、ごくわずかでしかない。



自分も周囲も大切にするなら、真剣に生きて自分のできることをやっていく以外に、何ができるというのか。



ぬるま湯に浸って生きることに、何の価値があるというのか。

中途半端に生きることに、何の意義があるというのか。


道を外れて生きる、それが心の奥底の奥底からの声だろうか。選択だろうか。



もっと心の奥底の自分に誠実に、強く、優しく。

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