🔴創造変化11.◇「つくる」という道
「己の道は、◯◯をつくる(築いていく)こと」
0.道とは歩くものである。すなわち実践である。何を実践するか。「造化の働き」を実践するのである。造化の働きを、自らの資質や才能や境遇に応じて、様々に具現化(自己を実現)していくことが、己の道を歩くということである。
1.つくるものは、まず自分である。
自分を把握し、根性を叩き直し、志や理想に向けて心も身体も頭も創造変化させていく。そして、社会や歴史の一部分として、社会にも歴史にも参画して、目に見えるものも見えないものもつくっていく。
何を作るのか。自分の資質・才能・個性を活かし、心が滾るものを作っていくのである。
料理、人間関係、組織、仕事、笑顔、元気、家族、車、スマホ、音楽、悪巧み、遊び、学問、ルール、絵、物語、思い出、身体、アプリ、おもちゃ、機会、来年2月の演武 …等々。
2.つくるためにはまず「元気(気力・骨力)」が必要である。
そして、自分の誠の心が滾る「理想精神・志義」も。
仲間もいてくれた方がいい。組織や役割もあった方がいい。
そして筋道を立てて、実行していく。
(創造変化6.◇人物条件と育み方と目標 参照)
その中において、自分を抑えずに全部本気出しているか。毎日毎日根性を叩き直して、日々新たに自分と社会と向かい合っているか。反省したい。
本気で挑めば、相手も社会も本気で向き合ってくれることが多い。
だから、根性を叩き直しながら本気になって己の道を進む。
3.己の心の奥底の滾りから、自分を創造変化させていく。それは換えが効かないオリジナルだ。
そんな自分をエンタメ業界で表現するなら、その人たちは芸能人・俳優・女優等と呼ばれる。
別の業界で表現するなら、アーティストやスポーツプレイヤー、作家、料理人、主婦、父、母、兄、弟…無数に職業や役割の名前が入るだろう。
自分を把握し、資質や能力を鍛錬修養陶冶して、造化の働きを様々に具現化していく。どんな時も状況に応じて造化を主体的に具現化していく。それが己の「道」。
言い換えれば、
何を見ても、何を行っても、全てにおいて自分の主体性と創造性を発揮していく。
やるべきこともやりたいことも、一つになって実践していく。心に喜神と感謝を抱いて。
笑顔が減るような生き方はNG。
これが道である。
4.自分は何もつくらず、責任も負わず、のうのうと消費だけして生きていたことにようやく気付いて愕然とした。
自分も周囲も社会も、破壊したり批評したり停滞させるのは造化ではない。
つまり、道ではない。
そうではなく、己の心の奥底の滾りを具現化していく。
例えるなら、花は誰かのために咲くのではない。已むに已まれぬ自己(蕾)の発現だ。己の道とはそういうこと。
5.ところで、人間には敬するという心がある。それは、自分より遥かに偉大なもの、尊きものに対して抱く感情である。
敬の根源とは、つくったもの(有形無形を問わず)に対して生ずる感情であり、「つくる」エネルギーの最たるものが「造化」という万物を生成化育していく力である。
私たちも「造化の働き」によって生まれた。
そこで、造化の働きを人が具現化したところに「敬する」という感情が生じるのである。
敬するという感情が芽生えると、その偉大な対象に仕えたくなるもの。
それは、自らもその偉大なもの、尊きものに少しでも近付いて、造化の働きの具現化に参じたいからである。
敬するという心は、人間だけが持つ尊き感情である。
閑話休題
◇私の「道」は、
料理 武道 ピアノ 筋トレ 孝行 活学 書道 仕事… をはじめ、あらゆる経験を積んで器量・機鋒・造詣を育みながら、自分をどこまでも磨いていくこと。
また、強く優しく気高い心を死ぬ時までずっと磨いていくこと。
そして、得意分野での自分のオリジナルと、自分の家族と仕事、ひいては沢山の人の笑顔や元気や安心をつくっていくこと。
「道」とは「造化(つくる)」の実践である。
従って、根性を叩き直すべく本気で問うべきは、
・自分は何を始めたか?
・自分は心から納得できる何をつくってきたか?
・自分は何を築いているか(築こうとしているか)?
である。
これらにまともに答えられないのなら、根性を叩き直して「造化の働き」に参ずる余地は十分ある。
自分を本気でつくる。
自分の資質を活かし、様々につくる。