357話◇楽しむことへの罪悪感を抱くなら


「楽しむ」とは、無我(我欲がない)の状態で、対象と一体になるような、全身全霊で取り組む姿勢であり、造化の働きと一致する。

陰陽相対の見地からすれば、「苦中に楽有り」である。


楽しむ姿勢とは、積極的で自ら恥をかくことを厭わず、主体的創造的であり、無我夢中になって寝食さえ忘れている。

だから、伸び伸びワクワクウキウキ気持ちよく心が満ち足りて、明るい気分になる。

それでいて感謝や謙虚さや調和を忘れていない。


自分のやり方で「楽しむ」からこそ、自分を溌剌と躍動させて、自分を発揮することができ、様々に形作ることができる(造化)。


「楽しむ」という造化(創造変化)の働きが生み出すものは、様々な物事であり、笑顔や喜びであり、新たな可能性等、沢山のものである。



さて、ここに「楽しむことへの罪悪感」を強く持って、物事を楽しめない人がいるとする。その人は、何が楽しいか忘れてしまった。楽しみ方も分からない。笑顔も少ない。もちろん、本人は罪悪感を抱いているのだから、その態度に納得している。


しかし、それは人生に挑む態度ではない。


そんな罪悪感を抱いていたら、

・笑顔が少なくなる魅力がない

・無我夢中になれるものがない怠慢

・主体性創造性が失われる自分を失う

・自分の才能や個性が発揮されない罪悪

・造化へと向かわない 


これでは、自分を生きていないことになる。これこそ罪悪だ。



己に返り、反省するしかない。

反省するために罪悪感は利用する。


誠の自己を発揮できるよう、

自分も相手も喜ばせるよう、

つまり、造化へと向かうよう心も思考も言動も改める。もし改めないなら、それこそ過ちだと「論語」も教えてくれている。


自分から逃げずに、勇気を振り絞って積極的に立ち向かう。それこそ人生に挑む態度だと思う。

ゼロからでもマイナスからでも、自分の志義という根源に戻って、そこから積極性をもってやり直す。

臆したり怠惰だったりする態度は、そもそも人生に挑む態度ではない。



そんな姿勢なら、やがて

・腹の底から笑い、喜べる

・無我夢中で寝食を忘れることができる

・主体性創造性を取り戻す

・自分の才能や個性を発揮する

・造化そのものになる




反省して改める。

「楽しみ方」は自分で見つけなければならないが、罪悪感を抱き続けることは自分を殺してしまう。償ったら改めることだ。


「楽しむ」とは、無我(我欲がない)の状態で、対象と一体になるような、全身全霊で取り組む姿勢である。

快楽を求めたり、楽をしたり、苦労をしないということではない。


楽しむことで造化の力は具現化される。


楽しむことで笑顔になれる。

笑顔な素敵な人こそ、人生を生きるに相応しい人だ。