559話◇達人


まだ黒帯を締め始めた頃の話。

当時の認識や覚悟では遠く及ばない境地を夢見ては、自分の未熟さにふてくされていた。


そんな時期、出稽古で達人と呼ばれる先生が私の相手をしてくれた。

稽古に取り組んできた今までの心が全部見透かされたようで、恥ずかしいやら情けないやら、穴があったら入りたい気分だった。


突きを出しては投げ飛ばされ、蹴りを入れにいっても飛ばされる。腕を掴んでも投げ飛ばされ、倒れては固められて身動きが出来なくなる。

その後、心掛けるべきことを教わり、技の理を教わり、達人先生の攻撃を捌いて技をかける稽古を繰り返し繰り返しやらせてもらった。



そして、数年経ったある日、気付いてしまった。


あの時…、

私の構えに合わせて、達人は構えてくれていた。

私の間合いに合わせて、達人は間合いを作ってくれていた。

私の力の方向に、達人先生は自分の急所を合わせてくれていた。

私が達人先生に技が上手くかけることができたのは、私を誘導してくれていたからだった。


技には理と道筋があり、それを自分が顕現できれば技はかかるのだということを、あの時体験させてもらったのだ。


自分がやったのではない。達人先生に誘導されたのだ。


やられる側が達人なら、平凡な奴も極上の腕の持ち主のようになる。



達人とは、道理に達した人であるだけではない。人間が厚く深く、一に達するように人を導く天才でもある。

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