2019年12月

560話◇夕陽とミカン


人の哀しみを知ると、「元気を出せよ」とは簡単に言えない時もある。

そんな時は、昭和の青春ドラマじゃないけれど、夕陽を一緒に見るといい。


夕陽に向かって「バカヤロ〜!!」とは叫ばなくてもいいけれど、人を励ましたり慰めたり勇気付けたりするには、やっぱり夕陽。

理屈抜きに美しく、涙が出るくらい感動する。


夕陽には、苦しみや悲しみを大きく温かく包み溶かし、ゆっくり忘れさせてくれる力がある。



そんな夕陽を連想させるものが、ミカン。


夕陽のあの大きさと優しさと強さとあたたかさは、自然の素朴なミカンそのものじゃないか。


辛くなったら夕陽。そして、それを思い出せるミカン。

酸味の中の優しい甘み。それも人生の味だよ。

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559話◇達人


まだ黒帯を締め始めた頃の話。

当時の認識や覚悟では遠く及ばない境地を夢見ては、自分の未熟さにふてくされていた。


そんな時期、出稽古で達人と呼ばれる先生が私の相手をしてくれた。

稽古に取り組んできた今までの心が全部見透かされたようで、恥ずかしいやら情けないやら、穴があったら入りたい気分だった。


突きを出しては投げ飛ばされ、蹴りを入れにいっても飛ばされる。腕を掴んでも投げ飛ばされ、倒れては固められて身動きが出来なくなる。

その後、心掛けるべきことを教わり、技の理を教わり、達人先生の攻撃を捌いて技をかける稽古を繰り返し繰り返しやらせてもらった。



そして、数年経ったある日、気付いてしまった。


あの時…、

私の構えに合わせて、達人は構えてくれていた。

私の間合いに合わせて、達人は間合いを作ってくれていた。

私の力の方向に、達人先生は自分の急所を合わせてくれていた。

私が達人先生に技が上手くかけることができたのは、私を誘導してくれていたからだった。


技には理と道筋があり、それを自分が顕現できれば技はかかるのだということを、あの時体験させてもらったのだ。


自分がやったのではない。達人先生に誘導されたのだ。


やられる側が達人なら、平凡な奴も極上の腕の持ち主のようになる。



達人とは、道理に達した人であるだけではない。人間が厚く深く、一に達するように人を導く天才でもある。

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