第516話◇我慢
我慢は、感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶことである。
ここで言う感情や欲望とは、我が儘(まま)なものか幼稚なものだろう。
もちろん我慢は必要だ。「ここは我慢のしどころだ」という時はある。
しかし、そういう時はその先を見据えているはずだ。
だから、「今は動く時ではない。我慢だ」と判断できるのではないか。
閑話休題。
今回は、我慢が不要な時の話。
「我慢」は、自分を怠ると書く。
造化の観点からすれば、自分を怠るというのは、己の成すべきことをしていないということだ。
確かに、我慢してじっと堪(こら)えていれば「どうすればもっと良くなるだろう?」と前向きに考えての行動はとらなくて済む。
そういう時の我慢というのは、「造化の道」に参じるように自分自身を使ってはいない。
それはつまり、自分を怠っているということだ。
怠っている…つまり、自分に甘いのだ。
自分を甘やかしていたら、弱くなっていく。
気力や精神力が弱くて、何を成し遂げていけるだろう?
だから、
我慢ばかりしていてはいけない。
我慢は、自分に甘い態度だ。
我慢は、自分を弱くする態度だ。
もっと前向きに、望む結果を如何に得るかを考えて実践し、そして結果を出す!
自分の頭も体も心も…持っているもの全部を使って、望む結果を出すために真剣に楽しくベストを尽くすことが重要だ。
自分に甘いと、自分を活かすことは難しい。
つまり、いつも前向きで快活で、何でも楽しんで望む結果を出すという態度には、卓越した知性や徳性、気力や精神力が必要だ。
そして、私たち人間の知力・気力・体力は、常に前向きな態度で、望む結果を出す(造化を体現する)ために使うことで、ますます生き生きしてくる。
さて、今直面している状況について、
それは我慢すべき場面だろうか?
我を怠ってはいけない場面だろうか?
いずれにせよ、腕の見せ所だ。