2019年03月

第516話◇我慢


我慢は、感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶことである。

ここで言う感情や欲望とは、我が儘(まま)なものか幼稚なものだろう。


もちろん我慢は必要だ。「ここは我慢のしどころだ」という時はある。

しかし、そういう時はその先を見据えているはずだ。

だから、「今は動く時ではない。我慢だ」と判断できるのではないか。



閑話休題。

今回は、我慢が不要な時の話。


「我慢」は、自分を怠ると書く。

造化の観点からすれば、自分を怠るというのは、己の成すべきことをしていないということだ。


確かに、我慢してじっと堪(こら)えていれば「どうすればもっと良くなるだろう?」と前向きに考えての行動はとらなくて済む。


そういう時の我慢というのは、「造化の道」に参じるように自分自身を使ってはいない。

それはつまり、自分を怠っているということだ。

怠っている…つまり、自分に甘いのだ。

自分を甘やかしていたら、弱くなっていく。


気力や精神力が弱くて、何を成し遂げていけるだろう?



だから、

我慢ばかりしていてはいけない。

我慢は、自分に甘い態度だ。

我慢は、自分を弱くする態度だ。


もっと前向きに、望む結果を如何に得るかを考えて実践し、そして結果を出す!

自分の頭も体も心も…持っているもの全部を使って、望む結果を出すために真剣に楽しくベストを尽くすことが重要だ。


自分に甘いと、自分を活かすことは難しい。

つまり、いつも前向きで快活で、何でも楽しんで望む結果を出すという態度には、卓越した知性や徳性、気力や精神力が必要だ。

そして、私たち人間の知力・気力・体力は、常に前向きな態度で、望む結果を出す(造化を体現する)ために使うことで、ますます生き生きしてくる。



さて、今直面している状況について、

それは我慢すべき場面だろうか?

我を怠ってはいけない場面だろうか?


いずれにせよ、腕の見せ所だ。

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第515話◇プロセスとゴール


東京から北九州まで、飛行機で2時間で行けるところを船で36時間かけて行くことにどんな意味があるのだろう?


そう考えるのは、結果(ゴール)が全てと考えるからだ。より早く結果を出すことが大切と考えるからだ。

大切なのはプロセスの終点(ゴール)であって、プロセスそのものではない。


この思考で考えるなら、人生というプロセスの終点(ゴール)はどこか?死である。しかし、死んで意識が無くなるなら、ゴールに当人は立ち会えない。とすれば、ゴールは存在しないに等しい。

仕事であればどうだろう?

道であればどうだろう?

終点(ゴール)は、それらを「止めた時」ではないか。


目指すべき終点(ゴール)は、本当に「死」や「止めた時」なのだろうか?

それは、存在しないものへ向かって生きることにならないか。



とすれば、目指しているのは終点ではない。

プロセス(旅・人生)そのものではないだろうか。


そう思うと、

終点(ゴール)に着いた時、「あれもやっておけばよかったと思うことは何だろう」と考えざるをえない。


やりたいことが手遅れになるくらいなら、今手をつけなきゃ!



そういえば、

ボブ・マーリーは

「自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ」と言っていたし、


オードリー・ヘプバーンも

「何より大切なのは人生を楽しむこと。幸せを感じること。それだけです」と言っていたじゃないか。

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第514話◇拒絶


求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。

明快な格言だ。

しかし、多くの人たちは、拒絶が怖いから求めない。だから求めるものが手に入らない。

つまり、手に入れられない方が、拒絶されるよりもマシだと思っているのだ。

彼らは真面目。考え過ぎて動けなくなっている。


愛すべき、考え過ぎの真面目ちゃんの思考と行動パターンは以下のようなものだ。

例えば、日曜大工していたら金槌が壊れてしまったとする。

「あ、壊れてしまった。確か、隣のあいつは持っていたな。貸してもらおう」

「…貸してくれるかな?借りるのは悪いな。困った姿を見せるのも恥ずかしいな。ホームセンターで新しいの売ってるし。金槌壊したオレに貸すなんて不安かも。」

「…でも、少しくらい貸してくれてもいいじゃないか。迷惑な奴め!って思われるかな。まともに金槌も使えない奴め!って思うよな。嫌な奴だな」

どんどん妄想を膨らませながら、隣の家に着いた。そして、ドアを開けてくれた彼にこう言い放つ。

「お前の金槌なんか、絶対に借りない!」


こうやって、まだ起きていない出来事に否定的に先回りして反応してしまう。

「断られたらどうしよう…」


…しかし、よく考えて見れば、

拒絶は死刑宣告ではないのだ。


拒絶を避けることは、機会を逃す事である。ならば、大切なことは拒絶にどう対応するかであるはずだ。

拒絶に対応できないなら、成功の可能性を自ら摘んでいるのと同じだ。


自分の企画が通る確率はどれくらいだろう?

仮に1/30とする。

数字になったら俄然ヤル気がでる。

3つ通したいなら、90案。

10の企画を通したいなら、300案出せばいいのだ。


試行錯誤も楽しくなるだろう。努力量の目安も分かるだろう。通す道は必ずある。



え?女に声をかけても彼女ができない?

何人の女に声かけたか数えてみろよw


自分にピッタリ合う女は、、1/10,000かな。

そんな女と100人目くらいで出逢えたとしたら、最高じゃないだろうかw

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第513話◇不採用間違いなし!


私のところに来るメールや電話。


就職するにはどうすればいいか?

大会で優勝するにはどうすればいいか?

起業するにはどうすればいいか?

自分はどうすべきだと思うか?

会社は何を求めているのか?

会ってアドバイスをもらうことはできるか?


つまり、相手に気に入ってもらえるにはどうすればいいかを、誰かから教えてもらおうという態度なのだ。

その態度の行き着く先は、「その他大勢」という統計の数字になるだけだ。


つまり、それは不採用間違いなしの戦略。

つまり、効果がないのだ。



自分自身であるより、周囲に迎合して自分を偽ることもあるだろう。


でも、自分自身であることを忘れると辛くなる。

自分の長所は?

他と違う点は?

自分の誠の心は?


自分自身であること、

それが力の源だ。

その力こそ、社会が求めているものだ。

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第512話◇NoはNoか?


温泉にて。

ゲームコーナーで男の子二人が、「ゲームしたいからお金~」とパパにねだっていた。

「これで最後だぞ。終わったら部屋に戻ろう」と言って子供達に小銭を渡していた。


当然、金が無くなると二人は戻ってきて「もっとやりたい!」とねだる。

「これでお終いだぞ」

「もう一回だけ、お願い!」

「ほんとにもう最後だぞ」

「もう一回」

「これで本当に最後だからな」


…親子のやり取りは終わらない。


日本酒を飲みながら、眺めていた。

あの父親は息子たちに、自分の言うことを無視するようにと何度も何度も何度も教えていた。

言葉は、しつこくねだれば覆るんだよ。言葉には大した力はないんだよ。

それが、彼ら親子のコミュニケーションだった。


実行する覚悟のない言葉に力はない。

言葉の前にまず考える。その言葉を実行する決意はあるか、覚悟はあるか。

あるなら、言葉にしていい。

警告の言葉は一度だけ。相手が聞き入れないなら実行する。それでこそ言葉に力が宿る。


本気で言うわけじゃない?

それなら、言うなよw

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