2019年01月

第499話◇書道…書を通しての造化の道


万物創造変化という大自然の摂理、

人がその摂理(道理)を体現するのに、例えば書道はどのような型を与えてくれるか。


造化に必要な心構え。

・集中力、節度

・無心(私利私欲の無い素直な心)

・命が生き生きと伸びていく楽しさ 等

書道はこれらを、「硯で墨を磨(す)って書く」ことで会得させてくれる。


いい硯で墨を磨った感触を「熱釜塗蝋(ねっぷとろう)」と言う。

熱く熱された釜(鉄板)に蝋(ろう)を当てる如く、墨が硯に吸い付いてスーッと溶けるように墨がおりて行く様を表した言葉である。(この感触を得たさに墨と硯の相性に躍起になる愛好家もいる)。


熱釜塗蝋の硯で磨ると、心が落ち着くのだ。磨っているうちに無心になる。


心構え・姿勢・呼吸が整ったら、筆を走らせる。


もし人に見せる作品(書)ならば、どのような心持ちで書くのか?

「批判されたら腹を切る覚悟で書く」こう表現した人もいる。それくらい真剣に書(自分)と向き合う。


その覚悟が生み出すもの、それはそのまま鑑賞する側の基準にもなる。すなわち、「力強さの中に感じられる優しさ・潤い・深み・広がり・静謐・リズム」である。

これらの基準が書かれた作品に感じられると、人の心は震え、感動する。

その書は、人の心を高め、清浄にし、楽しくさせる芸術となる。


芸術の美しさとは、強さと優しさ、リズムと静謐さ、鋭さと広がり等の調和である。

造化を顕現させるための陰陽相対原理。それはそのまま調和であり、すなわち美である。相対するものがそのまま調和して新たなものに変化していく。


書の美とは、例えば余白の部分(陰)と、墨で書かれた部分(陽)の調和である。

これを「知白守黒(ちはくしゅこく)」と言う。

白とは墨の置かれていない部分(陰)であり、黒とは墨の置かれている部分(陽)である。常に白を計って黒(墨)を置く。ただ黒(墨)を置くだけではない。


ここにきて書は造化の道となる。

余白を「死」、墨を「生」に置き換えて考えれば人生に応用できる。だから「書は人なり」なのである。

死や生を怖れるような生き方や、片方しか意識しない生き方では、人生はどんな作品として描かれるだろう?

そこに美や感動はあるか?

陰陽(余白と墨、死と生)相交って中(時中・進歩発展)をなしていく。

人生はもっともっと面白く躍動的にできる。


…書は人なり。

例えば、

良寛和尚の書、

宮本武蔵の書、

空海の書を見てみろよ。


良寛の字は子どもの字みたいで下手くそ?

騰々任運(のほほんと運に任せて進む姿)という良寛の生き方そのままに、物事に拘らない素直な字が、生き方が、そこにあるじゃないか。


良寛が三条大地震(1828.11.12)の後、与板の知人に送った手紙にこんな一節がある。

「…しかし、災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ、災難を逃るる妙法にて候。かしこ」

(…しかし、何事にも時というものがある。災難に逢う時は遭い、死ぬ時は死ぬ。いつも心をそう定めていることが、災難を逃れる唯一の方法かもしれない)


アメリカの神学者ニーバーの祈りも同じ。

「主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えなければいけないことを変える勇気と、これらを見極める叡智を与えてください」


先人は本当に深く道理を会得してる。



さて、書とは、何度もなぞることは許されない一瞬の芸術である。


私たちひとりひとりの人生も、毎日もそれと同じ。


今日も健康と健闘を!

IMG_0785


第498話◇弱者は相手と向き合わない


卑怯な弱者は、すぐに誰かのせいにして楽になろうとする。

相手に向き合わないだけでなく、自分への後ろめたい気持ち、やましい気持ちにも向き合わない。

つまり、弱者は向き合わない。

弱者は逃げる。



自然の摂理は、「陰陽相交って中となす」という原理に基づく。

造化は、皆を包容し、それぞれと親しみ、そして見極め、ぶつかり結びつき、新たな変化を生み出して形にしていく。



弱者はぶつからない。ぶつかってこない。だから「相交(あいま)」たない。

造化に向かわない。


ぶつからないという弱さは、その弱者と真剣に向き合いたいという人たちの気持ちを無駄にする。その態度は人を傷つける。

弱者にはその自覚がない。

人を傷つけたくもないし、自分も傷つきたくないと思って、ひとりになろうとする。


しかし、そういう態度は、自分も周囲も破滅へ追い込んでいく。

自分だけの世界に居てはいけない。

惜しみなく自分を出し切って、皆とやっていくことが大事。


自分から相手にポジティブに働きかける人たちは、もちろん弱者にも誠意を持ってぶつかっていく。


しかし、弱者は向き合わない。逃げるだけ。

相手を怒らせ、落胆させて、そして諦めるまで、逃げて傷つけ、逃げて傷つけ…を繰り返す。



もしその弱者が死んだら、、


弱者に向き合おうとした人たちは、すぐに弱者を忘れ、いつも通り振る舞うことができてしまう。

いつも逃げてばかりで、一度も勇気を出して応えてくれなかった人…。


そんな人はすぐに忘れ去られる。



結局、ぶつからない態度は、誰かを幸せにできるのか?幸せになれるのか?

FullSizeRender


第497話◇新しいことを学ぶときのコツ


わからない時に、そこで立ち止まることはしない。

「分からない」を一旦頭の中の「分からないフォルダ」の中に入れて(包容)、どんどん先に進む(展開)。

「分からない」でも進むには、勇気も根気も必要だけど、できないことじゃない。

それに、「分からない」を一つ一つ解決していかなくても、全体像を把握する上では問題にならないことが多い。

そうやって、まずは幹を伸ばしてみる。


学びを進めていくうちに、原理(根)が少しずつ分かってくる。

繰り返し問題を解いていく中で、様々な方法(型)に出会う。何度も何度も繰り返して、型を会得していく。

そして、細かい知識(枝葉)が広がっていく。


「分からない」は、積み重ねてきた知識と結びついて、思いがけないタイミングで「分かった!」に変わるもの。



やがて根が深まり、幹が太くなり、枝葉が広がっていく。

花実は時期を待って咲き、そして実る。


豊かな木、豊かな森を目指して。


学びとはそういうもの。

素直に、積極的に挑み、立ち止まらないこと。

第496話◇モチベーションが上がらない?


相手から実力差を見せつけられて、「どうせ勝つのは無理だ…」と思い込む。

覇気を失って力のないフリ、浅はかなフリをして「モチベーションが上がらないっすよ」などと馬鹿な言い訳をする奴がいる。


一方で、事故からのリハビリに懸命になっている男がいる。

病気と懸命に戦っている男がいる。



怪我や病気など、望まない相手と必死に戦ってる仲間がいるというのに、

相手を選んでモチベーションが上がるとか上がらないとか…


そんな奴はクソ野郎でしかない。


勝負の土俵に立ったら、戦い尽くす。

どちらが強かったかは、結果が教えてくれる。


今夜は勝利の報告を持って、見舞いに行こう。


勝利の報告を持って、家に帰ろう。

あの人に会いに行こう。

IMG_1237


第495話◇朝に月


朝や昼間の月。


そこにあっても、なかなか普段見えないもの。



現代は「心が見えない」時代なのか?

そもそも、相手を少しでも思いやる気持ちで人と向き合っているか?



今日は朝から月が見える。



注意深く観察してみる。

仕草や態度、表情や雰囲気から、ほんの少しだけ相手の気持ちが漏れ出ているのが感じられるはず。


あの人は楽しそうにしているか、それとも辛そうか…。


それをなるべく見逃さない。思いやる気持ちで受け止める。


言葉からも精神状態を見てとったり、言葉の裏にある気持ちを察することもできる。


だから、言葉を取り繕うことは、無駄で無意味なことになったりもする。

それでも、取り繕いたいという相手の意思を尊重したり、上げ足を取ったり…w。



朝の月明かりに照らされて、全部丸見え。

心も同じ。


何も隠せない。

隠せないものは隠さない。

FullSizeRender


↑このページのトップヘ