2018年08月

457話◇筋道とアドリブ


「人生に準備なんて必要ないよ!なんてったって、人生はアドリブの連続だからね!」という生き方も面白い。


でも、「自他の共栄」という志を持ち始めたら、アドリブが楽しい場面だけでなく、準備に基づいた実践が楽しいという場面も沢山出てくる。


どちらも楽しめた方がいいじゃないか?笑


準備に基づいた実践を楽しむには、進め方の順番がある。


例えば、

1.志(理想、目標)を掲げ、

2.筋道(道理、順序)を立てる。

3.道筋(実際に歩む道)をつけて

4.実践(自覚と努力)し、

5.後始末をつける。



1.志(理想、目標)を掲げる。

・志は気力に比例する

・元気(気力/骨力)がなければ何も始まらない。


2.筋道(道理、順序)を立てる。

・終始本末とタイミングを間違えないように。

・日頃から道理や道義を学ぶこと、会得すること。


3.道筋(実際に歩む道)をつける。

・計画を立てる(後に修正する)。


4.実践(自覚と努力)していく。

・独立独歩の覚悟、不撓不屈の精神で自ら成すべきことを為す。

・実践から学び(全身全霊、五感をフルに使う)、実践の中で自らを深め高めていく。

・勝利は自ら犠牲を払って掴む。


5.後始末をつける。

・「報告、片付け、労い感謝(打ち上げ)、次の準備」等の後始末で、ケジメ(節)をつける。


実践に至るまで、道筋をつけるのに5秒くらいの事もあるし、数日から数ヶ月、数年かかる事もある。



そして、道筋に基づいた実践を重ねていくと、アドリブも得意になっていく。


筋道とアドリブは正反対のようだけど、根ざすところ(道理・道義)が同じなら、その二つは同根から伸びたものだから。


どちらも楽しめるように、

どちらも得意でありたいね。

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第456話◇同じ心


「残心」とは「人に味わわせていた思いを、自分で味わう」ことでもある。


男は女に、「お前のために死ねる」とは言わない。

それは、残された女の気持ちがどんなものかを考えた結果。


女は男と真逆なことを言う。

「あなたのために生き、あなたのために死にます」と。


男には、女の覚悟と心が伝わっている。

女にも、男の自覚と心は伝わっている。


男と女。

真逆なことを言っているのに、同じ気持ちを抱いている。



同じ心。

それは、尊きもの。

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455話◇出会いと個性の面白さ


決して義理知らずというわけではないが、人は新しい境遇に入ると自然と前のことを忘れてしまうことも少なくない



さて、人には個性というものがある。その個性は陰陽善悪が渾然として統一されたもの。


トップとして頭角を表す個性を持った者もいれば、人の右腕としてその個性を発揮する者もいる。


面白いことに、

人の片腕としてその本領を発揮する者がトップに立ってしまうと、人格が変貌してしまうことがある。


どういうことかと言えば、自分の個性のまま一国一城の主となれる者もいれば、一国一城の主となると、今まで前面に出すことで生き生きしていた個性が引っ込み、今まで出すことのなかった個性が出てくる者もいる。


人の個性は陰陽善悪どちらも持っているのだから、その人が変わったわけではないが、表に出す側面が変わってしまったので、周囲からは変貌してしまったように見えるのだ。



自分の個性として持っている陰陽善悪。

境遇が変わって、表に出す個性の側面が変わる。

すると、物事に際してとんでもないことをしでかす事もある。

だが本人は、「何故そんなことになったのか分からない」と感じることも多いのだ。


それがまた人生の面白いところなのだが。



一国一城の主となって、自分より人格も実力も下の者とばかり連むようになる者がいる。自分より強いものといるのがどうにも我慢ならなくなる。

しかし、そうなると人格が少しずつ堕ちていく。

金は儲けることができたとしても、代償は大きい。

今の自分で本当にこれでよいのか、と不安につきまとわれる。


そういう者は、人の片腕として生きた方がその個性、本領を発揮できる。生き甲斐を感じることができる。

つまらぬ意地を張らない賢さと勇気があるかどうか


個性とはその人の境遇だけで変化するものではない。

人には必ず相棒が必要なように、相方によっても大きく変わる。


気品があって賢く、どこまでも男を立てて内助の功を惜しまず、周囲の皆を優しく包むような賢妻に恵まれ、素晴らしい人格者になる男もいる。


なんでこんな男がこんな立派な役職を務め上げているのか?と疑問に思う場面も少なからずあるが、その男の背後には賢妻という相棒がいることが多い。


しかし、その妻を失うと男の人柄が一変し、悪い部分の本性が浮かび上がってくる場合も少なくない。



陰陽善悪は相交わって様々に変化していく。

それが人生の面白いところ。


ひとりひとりが、その個性の本領を発揮するためにも、人は人と出会わなければいけない。

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454話◇渾然たる統一


例えば、飛行機には三つの理想がある。

それは、

「より高く、より速く、より遠く」。



では、我々人間の理想とは何だろう。

飛行機と違って、人間は機械ではない。従って機械を説明するような「論理や理屈」での説明には馴染まない。


人間を、「情欲の奴隷」としてではなく、「道義の主体」として捉えたものを「人格」と呼ぶ。

人格とは、「知・情・意」の渾然たる統一である。


「渾然たる統一」なのだから、知・情・意のどれか一つか二つが伸びればそれでよしというものではない。

つまり、「知・情・意の円満な発達」こそが眼目となり、そこに人格的人間としての価値がある。


東洋思想においては三達徳「知・仁・勇」とも呼ばれる。

知・仁・勇の円満な発達こそ、君子たるべき条件である。


芸道においては、人間を「心・技・体」の渾然たる統一と見る。

心・技・体の円満な発達こそ、芸道を極めていくための眼目である。



それぞれの要素の渾然たる統一や円満な発達とは、陰陽が相待ち相交わり、そこに生ずる矛盾や対立を克服して進歩発展へと化していく「中庸(創造と調和)」「造化の道理」そのものである。



志を高く掲げ、その実現に向けて歩む者ほど、道理に深く根ざすことが大切である。

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453話◇数をかけることの意義


「基本3万回」「基本15万回」「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」等、数も時間もかける言葉が芸道にはある。


数をかける意義はどこにあるのか?


基本はシンプルなものである。だから、「何故そんなに数をかけるのか?」という疑問の土壌は、「詰まらない」「飽きる」「辛い」「苦しい」などの気持ちから生ずる多い。


飽きても続けることで忍耐力や愚直に取り組む姿勢を鍛えるという答えもある。

が、それだけではない。


忍耐と言って何かをガマンするのは、私欲を妨げられるという側面がある。


しかし、私利私欲(我)があるうちは、物事への純度が高まらない。

一体感が生まれない。



数を重ねていくと、私欲が無くなっていき無心となる。

我を捨てて無心(私欲の無い心)で真心のままに、道理/道義のままに、魂のままに動く。これが大事。

これを会得しなければ、どうやってもその先に進めない。


無心で取り組めるようになると、自分でやっているのだが、どこか自分でない感覚も出てくる。


「誰かが降りて来て手伝ってくれている」「道理(法則・力)そのものになる感覚」

その感覚や表現は人それぞれだろう。


無心になり無我になり、誠そのもの、魂そのものとなって取り組むという姿勢。

それが本来の自分を発揮するための土台なのだ。



魂そのものとなって無心で物事に取り組む自分を作る。

それが「数をかける」ことの意義。

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