2018年08月

462話◇力があるかどうか


力があるかどうかは、どうすれば測れるか?

安静にしている状態では分かりにくい。


どうすれば分かるか?

全力疾走で、自分のベスト、最先端を出してみれば、今の自分にどれだけ力があるか分かる。


もし力が足りなければ、すぐに息切れする。望む結果に届かない。



病気や怪我も然り。

安静にしている状態では自覚症状が無く、病気と分からないこともある。

でも、全力疾走しようとすると、その弱っているところが露呈しやすい。


もちろん、その人たちに全力疾走を勧めるわけではない。

自覚症状が無いことにたかをくくって、かえって重症化するよう振舞ってしまう人への、自覚を促すための方便である。



閑話休題。

筋力も知力も体力も心肺機能も精神力も、使わなければその能力は衰えることを、廃用性萎縮と呼ぶ。


敷衍すれば、

全力を出すことを怠っていては、その力は伸びない。

力を伸ばしていく眼目は、物事に全力で取り組むこと。自分を尽くすことにある。


いつも、「今日が今までの人生でベストだ」というように毎日を過ごすなら、今日がダメでも、明日の自分が何とかしてくれる。

自分を信じて、成すべきことを為すために、自分を尽くすこと。


それを鍛錬と言う。己の力を養う秘訣である。



稽古だけでなく、勉強も仕事も生活も人生も然り。

根ざすものがあり、

目指すものがあり、

起点がある。

真剣になって自分を尽くしていく。


それは、生き甲斐でもあり醍醐味でもある。



力は、成すべきことを為すため、自他の共栄のために。そう使うのであれば、力は正義である。



今日も力強い一日を。

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461話◇姿勢


合宿3日目に



例えば、虎は筋トレしない。

でも筋肉すごいね。まぁ、人間と野生動物を単純に比較するのは少し乱暴だけど。


知り合いで、ジムで鍛えている人がいる。


一方、ジムに行ってないのに鍛えた身体の人もいる。


筋トレしてないのに、鍛えられた身体というのは一体どういうことか。

その人は野生動物なのか?


そうかもしれない。


 …そうでないかもしれない。

意識、身体の姿勢、身体の使い方、物事に取り組む姿勢や「生き方」が、その人の姿形を作り上げていく。


生き方とは、金太郎飴のように、その人のどこを切り取っても見出すことができる姿勢だ。

そして、姿勢の眼目はその「勢」にある。

勢い(流れ)が生じないような「姿」は「姿勢」とは言わない。


例えば、早起き。

これは能力ではなく、その人の姿勢である。

能力というのは一時的なもので、怠けていればとたんに落ちていくが、姿勢はその人の人となりを表す。

早起きの人は、今日一日を主体的に創造していこうという勢いがあるものだ。


だから、仕事をする上でも姿勢がいい人は信頼される。


一番大切にしたい姿勢は、ひとりの時、誰も見ていないときの姿勢。

「誰かが見てるからやる。誰も見ていないからやらない」では、ただの人。


「道着脱いだら、ただの人」では、武道はただの習い事になってしまう。


武道は「道」である。

だから、取り組む姿勢を大切に。生きる姿勢を大切に。ひとりの時の姿勢を大切に。


歯も大切に。

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460話◇失敗


馬鹿は、失敗から何も学ばないから同じ失敗をする。


失敗を繰り返せば死んでしまう仕事もあるし、たった一度の失敗が取り返しのつかない事態を招くこともある。

人生は、同じ失敗を繰り返せば惨めに終わってしまう。


馬鹿では自分を生きることができない。

だから、失敗を繰り返す馬鹿ではいけない。



「誰も教えてくれなかったから」。


ん?選択する答えは「人のせい」なのか。

自分の甘さや弱さは放っておくのか?


その甘さは、怠惰であり卑怯な態度である。


甘さは失敗と同等の罪。

そこには真剣さが足りない。


そもそも、なぜ真剣にやることを「真剣にやれ」というか?

竹刀だとふざけることができてしまう。

しかし、真剣でふざけてたら大怪我するし死んでしまうこともある。絶対にふざけていられない。



閑話休題。

「誰も教えてくれなかったから」で済ませてはいけない。

それなら自分でやる。自分たちでやる。

「訓練すること。練習すること。学び会得すること。逃げないこと」。

「人のせい」を選択するより、100倍いい答えだ。



男として生まれたからには、最強の男として振る舞い、君臨する。

甘さ弱さとは訣別して、自分の誠を顕現させる。



合宿2日目に

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459話◇基本と応用


「基本」とは、その根底にある道理を会得して、応用力を養う土台である。

「応用(臨機応変)」とは、展開力であり時中(機に応じ、時に従って事を処する)である。応用力を養うには、基本を学んだら、勇猛果敢にあらゆる経験を嘗め尽くすこと、色々なことを学ぶことが必要である。


従って、事に際しては、道筋をつけ、基本を押さえ、臨機応変に行っていくことが本筋だ。

基本に忠実なだけではちょっと勿体無い。


それは例えばこういうことだ。

ここに、同じ師匠について修行した二人の寿司職人がいるとする。


ふたりとも独立した。

・ひとりは、師匠から学び会得したその技術と知識を活かし、その腕を披露するようにお客さんに寿司を握る。

・もうひとりは、師匠から学び会得した技術と知識を活かし(そこまでは同じだが)、客の立場になって工夫して握る。


ひとりは自分の最高の腕を披露しようと握る。


もうひとりは目の前のお客さんのことを考え、工夫を怠たらずに握る。

例えば、歯の弱い人や年配の人には、そうでない人にはかけない一手間をかける。

イカを、その繊維を断ち切るように包丁を入れたりという一手間である。



実践の場とは、命を躍動させる場所であり、応用力(包容力・展開力)が試される場であり、醍醐味が味わえる場所である。

基本通りにやる場所ではないし、独りよがりでやる場所でもないし、曖昧な態度でやる場所でもない。



基本と応用はお互いに役割が違う。だから、矛盾対立することも少なくない。

しかし、造化(生成化育)へ指向するように、両方伸ばしていく。


それが道である。


夏合宿初日に。

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第458話◇奥義書


私たちの道場には、奥義書(秘伝書)と呼ばれる巻物がある。

誰もが手にとって広げて見てもいい。

写し取ってもいい。


だから、ブログでも開示してしまおう。


巻物を広げる。

中は、純真無垢で真っ白。


その中に語られるものは無限である。



孔子はそれを「仁」と呼び、曾子は「至善」と呼び、思子は「誠」と呼んだ。

キリスト教では「愛」と呼び、仏教では「慈悲」と呼び、易経では「太極」と呼ぶ。

松下幸之助は「根源」と呼び、

…そして私たちは「造化」と呼ぶ。



白紙の秘伝書、読める?

「さすが!」


もう会得して様々に体現している?

「免許皆伝!」



それとも、

読めるようになるまで、まだまだ道は遠い?笑


いやいや、きっと道は側にあるよ!

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