第449話◇省みて省いて己に反(かえ)る
毎晩、日記を書くときに自分を反省すると、恥ずかしいことに、未だに己の浅はかさや至らなさに打ちのめされることがある。
でも、己を省みるというのは、臆病者や怠惰な者、他罰的な悪人にはできないことだと開き直る。
臆病者は自分自身の誠を誤魔化すか、己の誠から逃げて外からの刺激にただ反応し、情欲や感情に流される。
ものの道理を知らないと、自分の悪いところや意志の弱いところばかり自覚して、自分自身を嫌いになってしまうことも、自分で自分を苦しめることもある。
だから、真面目で努力家なのに、自分で自分を弱くしてしまい、「自分のことは嫌いだ」という人もいる。
そうではない。
「反省」というのは無理・無駄・ムラを省き、誠の己に反(かえ)ること。
自分の個性/特性を掴み、弱い自分と決別して己を変化させ、成長させること。
そもそも、道理に根ざすこと、自分に反ることを忘れたら、自分を生きることは難しい。
…今、ふと思ったが、自分で自分を苦しめてしまったり、現況が辛い苦しいと言う人程、自分に反(かえ)って自分を定めていくべきなのに、そういう人たちに限って日記書いてない人が多いんだよなぁ…。
閑話休題。
万物を生み出してきた「造化の道理」には、陰陽相対という性質がある。
その性質により、何事も陰陽相対しながら、そこに内在する矛盾や対立を克服して一段上に発展してきた。
従って、心にも身体にも社会にも陰陽や貴賎は必ず内在し、その矛盾や対立を克服するとこにしか進歩発展はない。
だから、その時その時に、それら矛盾や対立をどう克服し、どう表面化させていくかが個人や社会の器量や機鋒(展開力)…、つまり、実力の見せ所である。
それが、日々の選択であり、決断であり、行動である。
迷っていたり、曖昧にしていたのでは何も進まない。
夜、日記を書くために座った時、今日一日の決断や迷いを、己の誠に照らし合わせて確認するのが反省である。
笑うべき時に心の底から笑ったか。
怒るべき時に雷鳴の如く怒ったか。
戦うべき時に全力で戦ったか。
耐えるべき時に必死に耐えたか。
退くべき時に退いたか。
大胆であるべき時に大胆であったか。
慎重であるべき時に慎重であったか…。
己の誠という羅針盤に合わせて、その時その時の状況にピタッと合っていたか。ど真ん中をぶち抜いていたか。
反省の中で、己の誠や明日への指針を見出して、また明日へと自らを進めていく。
それが自分を把握していくことであり、物事を包容しながら成すべきことを為していく力となり、自信となっていく。
これが成長である。
そして、成長するにつれ、己の誠は自分個人を超えてどんどん大きくなる。
何でも他人事…ではなく、何でも自分事になっていく。価値観や視野が広がる。
世の中のことは全て自分の腹の中の出来事としてとらえ、親疎の別や終始本末を踏まえながら、己の誠を貫いていけるようになる。
そうなってくると、物事が難しければ難しい程「面白い!」ということになる。
「日記?ヒマな日は書くこと無いし、忙しい日は書く時間が無い」と言う人もいる。
そんな人にはこう言いたい。
あなたの一日は、記録するに値しないものなのか?
もっと尊いもののはずではないのか?
自分を生かす明日のために!