2017年09月

🔵東洋思想◇孫子の兵法1 メモ


孫子は、13篇からなる兵法書。


1.始計篇…兵は詭道なり、臨機応変、見通し

2.作戦篇…「拙速を尊ぶ」、現地調達

3.謀攻篇…戦わずに屈服させる。敵を知り…

4.軍形篇…不敗の準備。攻撃の機を捉える

5.兵勢篇…軍律、勢い、態勢

6.虚実篇…虚実で振り回し主導権を握る。

7.軍争篇…迂直の計、風林火山、NG集

8.九変篇…双方の利害を考えるバランス感覚

9.行軍篇…兆しを捉える。信頼関係の構築

10.地形篇…地形/敵/味方をよく見て、自ら状況を作り出す。

11.九地篇…活用し協力。敵は分断させる。→天地人すべて活用協力。呉越同舟。そして、敵は分断させて総攻撃をかける。

12.火攻篇…感情ではなく目的達成に徹する

13.用間篇…スパイ。情報を集めるネットワーク構築


以上の13篇。



「1.始計篇」

始計とは、はかりごとの始まり、つまり戦争に向かう心得や事前の準備。


そもそも、戦争は軽々しく始めるべきではない。平和か戦争の二者択一なら平和を選ぶ。


「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず」(戦争は国家の一大事で、国民の生死、国家の存亡にかかってくる。だから細心の注意を払って検討を重ねなければならない)


戦争は重大だからこそ事前に充分に戦争の法則性を研究すべき。


戦争を始めるか判断するための条件。

5つの基本事項で戦力を検討し、7つの条件を当てはめて優劣を判断する。


「故に、これを経(はか)るに五事を以ってし、これを校(くら)ぶるに、計を以ってして、その情を索(そと)む。一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法」(道・天・地・将・法の五つの事に関して、それが整っているかどうかで判断をする)


「道」は原則、方針。大義名分。

君主と国民の意思を一致させること。これがないと挙国一致の態勢、将兵を奮起させることが難しい。


「天」は情勢、タイミング。

天候・季節・時期などの時間的条件。

今がその(戦争する)時なのか?


「地」は環境的条件。

地の利、距離・険しさ・広さ・高さなど地理的条件。

地域や地形を考え、どの場所で事を起こすか?


「将」は大将の器量。仁義礼智信厳勇。君主は信頼に値する人物か。法令を守って賞罰などを公平に行っているか?


「法」は組織、規律、装備。軍制。軍の編成、職責分担、軍需物資の管理、適材適所への配置など。軍としての規律・団結力はどうか?これがないと、烏合の衆に終わる。


これら5項目について相手と自国を比べ、更に7つの条件を当てはめて5項目の条件が満たされているか判断し、戦争の見通しをつける。


1.君主はどちらが立派な政治(政治理念)を行っているか

2.将はどちらが有能か

3.天の時・地の利はどちらに有利か

4.法令はどちらがよく守られているか

5.軍隊はどちらが強いか

6.兵はどちらが訓練されているか

7.賞罰はどちらが厳正に行われているか


この基本の条件については事前判断であり、実際には「勢」を把握して7条件を補強する。「勢」とは、時々の状況を判断して臨機応変に対処すること。この臨機応変の判断には実践経験が必須。


原則(経)は書から学べるが、臨機応変という応用(権)は、経験を積まなければ身につかない。



そして、始計篇・準備段階で心得ておくことは「兵は詭道なり」。

「兵」とは戦争のこと。「詭道」の「詭」は、偽り騙す。臨機応変、千変万化して相手を撹乱する事。
そして、短期で相手を屈服させること。


「兵は詭道なり。故に能なるも不能を示し、用なるも不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれを備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓(みだ)し、卑にしてこれを驕(おご)らせ、佚(いつ)にしてこれを労し、親にしてこれを離す。その無備を攻め、その不意に出ず」
(戦いとは敵をあざむく道。できるのにできないふりをし、必要でも不要と見せかける。遠ざかると見せかけて近づき、近づくと見せかけて遠ざかる。有利だと思わせて誘い出し、混乱させて突き崩す。充実している敵には退いて備えを固め、強敵とは戦いを避ける。挑発し掻き乱しといて消耗させ、低姿勢に出て油断を誘う。休養をとっている者は事を構えて奔命(忙しく活動させる)に疲れさせ、団結している敵には分断を謀る。手薄・無防備なところにつけこみ、意表をつく」


これらが戦術の要諦。

その運用は状況に応じる。


敵に勝つためには、正攻法だけではダメで、敵を欺かなければならない。

「欺く」とは、実際と違う様に見せかけて相手に実態を悟らせぬようにして判断を誤らせるとか、相手の裏をかき意表をつくとか、相手のペースを乱してこちらのペースに巻き込む等、あらゆる奇策が全部含まれる。

そのようなさまざまな工夫をして敵の弱点を作りだし、その弱点をつくことが「詭道」。


現実におかれた敵味方の実態に対して、「詭」によって条件を作り替える「権(臨機応変の対応策)」を説く。


ただ、浅はかなことや、やましい事を通すために騙し続けるのではなく、守るべきものを守るため、勝ち抜くために騙す。


そういう状況の千変万化があるから、「兵家の勝つは、先づ 伝ふ可からず」(言葉にできない)ということになる。


勝利の見通しが立つのは、勝つための条件が整っているからである。見通しが立たないのは条件が整っていないということ。

つまり、勝敗は戦う前に明らかになる。

従って、勝利の見通しも無しに戦争を始めてはいけない。


見通しは、経験値がモノを言う。

348話◇誠(志義)に順う勇気


「苦しい、辛い、嫌だ、ちくしょうちくしょうちくしょう

そうやっていつも歯をくいしばる。


心には、追い出したい自分がいる。

弱い自分に負けると、そんな自分を誤魔化すように、欲望や感情を別のもので満たそうとする。音楽だったりケーキだったり旅行だったり

それは気分転換でも癒しでもなく、ただの逃避である。



そんなことを繰り返せば繰り返すほど、心は弱くなる。

せめて求めるのは、ためにならない救いの言葉だけ。


苦しいのは諦めたり逃げたりするからだ。克服するには、諦めたり逃げたりしないこと。

それが分かっているのに、そんな自分の気持ちを誤魔化したり抗(あらが)ったりするから、おかしなことになる。



迷ったら、正座をして目を閉じる。そして心の声が聴く。


自分の弱さに言い訳をせず、心の奥底の誠に従う行動をとれれば、自分を好きになれる。


「ずっと苦しかった」

そう言えるのは、自分の弱さと向き合い、弱さを認め、受け入れた時だ。それが自分に対して勇気を示すということだ。


そこに少しでも自己弁護や誤魔化しがあったら何も変わらない。


自分の誠の心が何より大切。



「本当はこうしたいんだろ」

建前、体裁、世間体、鎧をつけた自分ばかり意識して生きるのも本人の選択だが、自分の誠を自分に貫けないというのは、やはり情け無い。


良心、誠の心に従う勇気と、それを行動に移して具現化する勇気。



誠と勇気

大切な、当たり前のこと。

347話◇觔斗雲(きんとうん)という心


私達の心はどこにあるのだろう?

胸の中だろうか。頭の中だろうか。


体の中に心があるとも限らない。



孫悟空が乗っている觔斗雲(きんとうん)をイメージできるだろうか。

あんな風に、私達は心の上に立って生きているのかもしれない。笑



心身一如である。

だから、自分の心を踏み躙(にじ)れば、身体も痛む。人の心を踏み躙れば、人はその心の上でひっくり返ったりもする。


心という觔斗雲(きんとうん)は、大きさも形も柔らかさも変わる。

大きく温かく柔らかくて、身体を弾ませてくれる時もあれば、冷たく暗く底なし沼のように身体を飲み込んだり、刀のようになって身体を引き裂こうとする時もある。



この心という觔斗雲(きんとうん)に乗って、人はいつも戦っている。


その目的は勝ち負けというより、一人一人がその誠の心(志義)に順って「自分を溌剌と生きる」こと。



夜には、觔斗雲(きんとうん)を整備する。

そして一つだけ自問する。


「今日、闘ったか」。



明日も、健康と健闘を!

第346話◇早朝ミーティング ~人は生きもの


・人間を生きたものと思っているのか。皆、飯を食べるし、様々に好き嫌いもあるし立場もある。人間は生きたものだから、そのつもりで扱わなければならない。接しなければならない。

死んだものとして扱ってはいないか。


・あいつは出来る男だと思えばこそ、ひどく言う事もある。


・外のことをよく知っていて、それから自分のことを言うのならその人の話はよく聞く。

しかし、ただ外のことに不平不満ばかり持って、その複雑さを知らない者が自説を述べても、皆がその者の話を聞くのは一時の興味からであって、本気で聞くわけではないし、その自説が広まる道理もない。


・人は、褒める人ばかりに取り巻かれていたらみんなダメになるし、自分が正しいと言う者は、どうも浅薄で信用できない。


・事を成す者は、才に走ってはいけない。何よりも愚直さ。そして「機」に乗じてやらなければならない。やった事に道理があると言われるのに5年、もっともだと頷かれるのに10年、20年経たなければ分からない。20年経てばそこに残るのは道筋だけ。その筋を見て判断される。今日明日の判断など何のアテにもならない。



さて、今日も健康と健闘を!

345話◇溫故知新


「溫」

囚人に水と食事を与え、落ち着いたところで相手のことをたずねる。慈悲、恕(包容し親しみ育む)。明徳を明らかにする。


「故」

過ぎ去った昔のことを意味するだけでなく、「由緒、本質、根源、原因、もともと」という意味。


「知」

つかむ。頭で理解するというより身体で知る。支配する、治める。

動物的に行くのではなく、人間的にそこへ行く。遊びで行くのではなく、本気で行く(つかむ)。


「新」

辛・木・斤を組み合わせた字。

辛は努力を意味し、斤は木を斬る大斧、これで木を斬ること。明らかに見分ける、慈しむ。

つまり、よく慈しんで木を育て、適材適所を見極め、努力して加工し、新たなものにして活用していくことを表す。

本当に新しくするには、周到な準備と努力を要する。



「溫故知新」

そのものの本質を明らかにしてよく見極め、そこから新たなものに変化させて活用していく。

この一連の流れを身体でつかみ、様々に往(過去・本質)を継ぎ、来(新・未来)を拓いていくこと。



人としての根源や本質に触れ、自分に合う思想・思考・心を再びつかみ、それを様々に活かして形にするよう自覚を新たにしたいです。

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