2017年06月

世人余話◇どんな本を読むか。


本の出版について。

日本に出版社の数は約4,300 社。

そこから世の中に毎日220冊の新刊が出ます。一ヶ月6 ,600冊。一年で約8万冊が出版されています( 2016年)。


本を一週間に1冊読む人は、一ヶ月で4 冊、一年で約50冊読めます。

50年で2, 500冊の本と出逢います。


それは、出版される本1,000 冊につき、6冊に出逢えるに過ぎません。出版される本の0.6% 1%にも満たないのですね。


出版される本の99%には出逢えません。



日本だけで、これだけの本が出版されています。そのうち100年後も読み継がれる本は、どれ程あるのでしょうか。


そんな中で、もし1,000 年、2,000年前から読み継がれている本があるなら、私には読む価値があります。


幸い、そんな書がありました。

古典です。

1,000年間、 2,000年間という歴史の審判を受け続け、それでも途中で消えることなく読み継がれてきた書たちです。


私にとって、その代表は「四書五経」です。

四書は「論語、大学、中庸、孟子」。

五経は「易経、書経、詩経、礼記、春秋」です。これらは、人生の原理的指導力のある書と言われています。


また、人間が如何に生きてきたかという生活の記録を通して、如何に生きるべきかという理法を明らかにしてくれる書が、「十八史略」「三国志」等、史書と呼ばれるものです。



これらに接した上で、縁に従って進めればと思います。

自身の資質や才能や可能性を開花させてくれる魂の入った書に出逢えたら、それこそ宝縁というものでしょう。


307話◇非道者が一方的に踏み込んできたら


非戦を表明するだけでは、侵略されて終わってしまいます。

世の中には、そういうこともあります。


「それは酷い」「許せない」と言っても、自分たちを守る力、相手を屈服させる力がなければ滅ぼされます。

滅ぼされたら、少し同情され、そして忘れ去られます。


非道者に侵略されて敗北するというのは、「道」に反します。

だから、「弱いままでいるのはダメだ」と何度も言うのです。


そして、「弱いまま」だと、自分も周囲も未来も不幸にしてしまうことが少なくありません。


そもそも「道」とは、「造化の実践」であり、従って、元気であり、不撓不屈であり、強く優しく豊かなものであります。

その道が人道であります。



ですから、

大切な人や物事を守るため、大切な人や物事を育て築き上げていくために、安心して真剣に強く強く強く強く強くなって下さい。


志を持ち、

目標を定め、

そこに向かって義を貫いていきます。

周囲と親和し、それぞれの力を磨いていきます。


自分、家族、友達、社会、未来

全てを築くため、守るため、豊かにしていくために、昨日より今日、今日より明日と、安心して強くなって下さい。



牙をなくした狼が多いのが、この世の中です。それでは誰かに飼われるペットと変わりません。

牙は決して無くさないで下さい。


そして、鷹より強いウサギもいることも、忘れないで下さい。

思い込みと傲慢は命取りです。

306話◇所作ひとつひとつに「意味」があります。しかし、教えることはできません。


所作や技には意味があります。

しかし、教えることはできません。

伝えることができるものと、できないものがあります。


いや、伝えてはいるのです。


ただ、それは各自が自得するよう促すだけなのです。

「それの意味は何ですか?」と聞きたいというのは、「自ら学び会得するという力」を弱くすることになりかねません。

しかし、その力の養成こそが大切なのです。

答えは探すのではなく、自ら見出すのです。


言葉で教えようとすると、言葉を受け取った人は、自分の理解できる範囲で「分かった」と言います。

しかし、多くの場合、その理解は甚だ浅はかなものです。しかも、「言葉を聞いて分かった」という思考回路は、自分の思考を縛りがちです。縛られると創造展開しません。


学んで思索して実践へ。そして、実践から学び、学びから思索し、また実践へ。

もちろん絶対ではありませんが、このような「流れ」も自得して頂ければと思います。

そして、その過程において、臆病・怠惰・卑怯な心は払拭して下さい。


自分を弱くするような、人生を寂しくするようなことは、ここでは許されないからです。


そのために、まずは心の在り方を学ぶこととなります。


ただ、心の在り方については、勉強会に譲ります。

今回は、「その意味は教えられない」ことの理由について。


例えば、漢数字の「一」。これに意味はあります。

一を「ひとつ」「はじまり」と教わり、「分かった!」となります。

でも、受動的で主観的な理解にとどめてしまうと、成長発展しないのです。「自ら学び会得する力」を自分で捨ててしまうのです。


少し「一」の意味を考えてみます。


1.はじまり。最初。

「一」は、物事を生み出し、最初に行うという意味合いになります。独立独歩の気概、不撓不屈の実践力、元気溌剌です。

「易経」にもあるように、志を持って物事を始めると、そこに力が集まってきます。集まってきた力を一つに束ねていくことで、力はより大きくなっていきます。


2.ひとつ。

ひとつにする。つまり、物事を集約させる結束力です。多くの人を結束させることのできるリーダーへと展開できます。

リーダーとして、多くの人を結束するためには、まず自分が、人として履み行うべき道を学び、己を省みて自身を明らかにし、他よりも修養努力することが必須(「小学」「大学」「論語」等参考)であると解釈は広げられます。


3.隅から隅まで(広範囲を占める)。

人としての器量の大きさとは、どれだけ包容力があり、また、包容して親しみ、様々に育んでいけるかどうかです。

些細なことに好き嫌いを言うのではなく、隅から隅まで、一切を内包することができるかどうかです。包容して親しまないと造化につながりません。


4.同じものとして扱う。

5.6.7…と、意味は展開していくものです。



例えば、私達は服を着ます。でも、季節によって身につける服は変わります。身体が大きくなるにつれて、着る服は変わります。何をするかによっても着る服は変わります。


寒さから身体を守るために着ることもあり、

誰かに脱がされるために着ることもあり、

自分を鼓舞するためや、

人と一体感を持つために着ることもあります。

服に「意味」はあります。

しかし、それは創造変化しながら自得するものなのです。そして、本質は一つです。

所作も技も同様なのです。


「変化」するものであり、その源泉は「一つ」なのです。



心得(こころえ)も技も伝えます。そしてそこには「意味」があります。

意味とは、時・場所・志・学び等、他との関係性とそれを認識する私達の主観において意味付けられます。

所作の「意味」を教えるということはできないのです。


その時、その時、また成長に応じて、自得していくものです。


だから、「その意味はね、」と軽々しく言うことはできないのです。


でも、日常や仕事におけるコミュニケーションは、異なる分野です。

相互に意思疎通を図る試みはとても大切です。


お互いの心がそのまま伝わり合い、ひとつになれればいいのに

誰かがその手を挙げたら、いつもその手に重ねる手があればいいのに、と思ってしまいます。



物事には、

自在な「変化」で応じながらも、その源泉「一つ」を確立しておきたいものです。

道場では、それを学び会得しているのです。

東洋思想◇和敬清寂


先日、ある人から「和敬清寂※」という茶道の心得を教わりました。


※「和敬清寂(わけいせいじゃく)」とは、茶道の心得を示す標語で、意味は、主人と賓客がお互いの心を和らげて謹み敬い、茶室の備品や茶会の雰囲気を清浄にすることという意である。特に千家ではこの標語を千利休の定めた「和」、「敬」、「清」、「寂」を表す「四規」として重要視している。

(Wikipediaより)



その人はこう教えてくれました。

・和…親和、調和、和む

・敬…お互いに慎み敬う、敬愛

・清…明るく、静かで、清らか

・寂…省。己を省みて無駄を省き、様々に成し遂げていく。


その人は、「何のために茶道やっているのですか?」という意地悪な質問に対して、「他への応用」という趣旨のことを答えてくれました。


和敬清寂という心のあり方がまずあって、それが作法という動作になってお茶をたてる。


まず心を定め、それを行動にするという当たり前を、当たり前に行っていくことで心も身体も周囲も美しくしていく。



その心で日常生活や仕事の色々なことに処していくなら、茶道も日常も仕事も、その人の立居振舞、そしてその人の存在そのものが芸術となっていくことでしょう。


一つの種(心)。

そこから、根っこや幹や枝葉や花実へと様々に展開していく豊かさや広がり、深みや潤いを想像させてもらいました。


この人は、芸事(茶道、華道、書道、日舞、ピアノ等)も日常も仕事も人間関係も…全て繋がっているな!と嬉しくなりました。



人は、心掛けが変わると、身体も人間関係も世界も…あらゆることが変わっていくと実感しています。

そして、いつの間にか様々に人を感化させてます。



私も、感化されたひとりです。笑


今日も健康と健闘を!

ピアノ◇男は大きな河になれ~モルダウより~


私が初めてこの歌を聴いたのは、大学1年の春。

先輩がバスの中でア・カペラで歌ってくれました。歌を聴きながら、大学は男としての器量をデカくする場だ…と無邪気に思ったものです。


周囲は、「歌詞はいいけど皆で演奏するにはちょっとなぁ…」「夏はもっとアップテンポな曲を…」ということで、微妙な位置にいる「男は大きな河になれ」。


映画「次郎物語」の主題歌として使われた歌です。

モルダウ、さだまさしさんで検索すると沢山ヒットします。



私は好きなので、ピアノの弾き語り用に練習します。

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