550話◇ブチ切れる


いじめられて道場に来る男がいる。


いじめはどこにでもある。学校でも職場でも。

いじめに対するには、闘うか逃げるかそのままかのどれかだ。

逃げるしかないとなれば、転校したり転職したり引っ越したりすれば良い。


しかし、道場に来るからには、闘わなければならない。その覚悟はあるか。

ラグビーのタックルのように相手に全力でぶつかっていく根性と怒りを見せることが大切だ。勝ち負けではない。

どんな手段を使ってでも「お前をぶっ倒す!」という気概を見せなければならない。


もちろん、その業界のルールはある。

しかし、男はナメられたらおしまいだ。負け犬として生きていくしかない。

理不尽な扱いを受けたら、いつでもその相手を噛み殺すそういう武器(牙)を磨いておかなければならない。甘えられる場所に逃げてばかりじゃ、自尊心を失っていくばかりだ。



世の中は、理不尽な事ばかりで我慢を強いられる事も少なくない。特に教えを乞う側には。

己の志を実現するには、我慢と努力と勉強をとことん重ねていくしかない。


それでもいよいよ我慢の限界を超えたら、自分で己を殺してしまいそうになったら、道を外さずブチ切れろ!

道を外して無関係な者や弱者にあたったりしてはいけない。

怒りを向けるべき相手に、自分の命を賭けて怒りをぶちかますことが必要だ。



人間は感情の生き物である。その感情の代表が「喜怒哀楽」。

己を前に進めるには、心の奥底の奥底では、常に喜ぶ心と感謝を抱いていなければならない。だから「喜」が感情の最初だ。

その上で、理不尽な扱いには「怒り」を表現する気概が不可欠だ。怒りは常に絶望に勝る。右の頬を打たれたら左の頬もではなく、300倍にして返す気概も必要なのだ。

立ち上がり、思いを胸中に秘し、口を隠してむせぶ「哀」しさを持って進めば、相手への思いやりを忘れることもない。沢山の人と繋がれる。その先にこそ、自他共栄の「楽」しさが築かれる。


そのために、闘争本能を極限まで呼び覚ませ。


堂々と戦って、己の存在を周囲に認めさせろ。

艱難辛苦を乗り越えて、自分の存在を証明しろ。自分の本気を見せろ。

そんな自分を曝すことで、仲間が集まってくる。友ある者は敗残者にはならない!

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