稽古とは、「古きと比べる」。
努力とは、「昨日より今日」。


昨日の自分より努力しているか。
変化(成長)しているか。

家庭での自分の場所、
道場での自分の場所、
社会での自分の場所を、

自ら創造しているか。


身体も人間関係も世の中も、
全て移り変わっていく。

相変わらず「今日も飯が美味い!」と言えるのは、
身体が前の食事を消化吸収して血肉となり、
様々な活動をして、
また腹が減ったからではないか。

変わらないように見えるのは、
変化し続けているから。


変えたくないものがあるなら、

様々なことを変えて(成長して)いかなければならない。
様々なものを創造していかなければならない。

道場法話の時間、皆も私も正座している。
普段は15分程度だが、合宿の時などは数時間に及ぶこともある。

腰を据えて背骨を立てる。

胡座(あぐら)や結跏趺坐(けっかふざ)、半跏趺坐(はんかふざ)ではなく、正座。

正座をして、
姿勢を整え、
呼吸を整え、

心を落ち着かせる。


正座していると、足の血管内の血流が滞り、末梢神経に障害が起こる。
そして、力が入らなかったり、電撃を常に与えられているような異常な感覚が続く。

つまり、痺れる。

足を崩すと反動で血液が通ってくる。
これがいい。笑


これは、様々な恐怖症の克服にも役立つ。

様々な恐怖症で困っている人がいたら、足が痺(しび)れるくらいの正座を1日に何度か行ってみるとよい。



私達には、
現実の細々としたものから心を解放して、「今」という時と場所という束縛を離れることが、時には必要だ。

私達の日常がいかに粗雑であるか、
余りにも自己不在であったことかが、
よく分かる。


「まぁ、座れよ」

心が落ち着くよ。

■星を見る時、星を直接見るのではなく、ほんの少しだけ目線をずらして、夜空の暗いところを見る。すると、瞳が大きくなり、結果として光を沢山取り込み、星がよく見える。

星そのものを見ると、その光に反応して瞳が小さくなり、光の取り込み量が減ってしまう。よく見えなくなる。

星をよく見たいなら、星から少しだけ焦点をずらしてみる。


◼︎紅茶が大好きなら、毎日飲むのではなく、週に1杯だけに控える(第 31話)。

「もしも、大好きな紅茶を毎日飲んでいたら、それが当たり前になって紅茶に感激しなくなってしまう」。

活力や感激は、節制から生まれる。満足から生まれるわけじゃない。


◼︎易経も、咸恒の次は「遯」にいく。

徳川家康も「結婚してしばらくしたら、夫婦は必ず別々に寝よ」と言う。いつも一緒に寝ているようでは、天下の大事を成すに足らない。愛すべき人は愛するが、それに溺れない。

大切なものは、少し遠ざける。


◼︎技の稽古。焦点を合わせたつもりでも、未熟ならとんでもない方向に向かってるかもしれない。少しだけ焦点をずらした方が、かえって上手くいくこともある。笑

例)いつも相手を見ているより、後ろを見るように一瞬首を回すと、かえって肩が入り、体の軸が真っ直ぐになって、相手に上手く力が伝わることもある。



さて、真面目なカタブツ君、

大切なものを大切にするために、「少しだけ焦点をずらす」「大切なものを、あえて少し遠ざける」という勇気の存在にも心を開いてな。

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